「夏の旅人」追記。麻布中学校の大先輩 
小田 薫 7/26(日) 14:12:27 No.20090726141227
麻布中学校で山に登っていた大先輩に「望月達夫」氏が居ます。1914年生まれ〜2002年没。日本山岳会副会長で名誉会員でした。日本山岳会の会報「山岳」98号に追悼文があります。横山厚夫氏の追悼文の一部を掲載します。12歳、中学一年生の遠足で高尾山に登った。同校徒歩部に入部後奥多摩の峠、奥秩父の金峰山、北アの燕岳などに登った。槍ヶ岳に行こうとしたが、中学生にはまだ早いと先生が承知しなかったことが大いに不満であった。中学5年の夏休みに先輩など三人で涸沢に入って奥穂高、大槍、小槍に登り、初めてザイルを結んで岩と雪のアルプス的な山の魅力を味わった。谷川連峰のオジカ沢、ヒツゴウ沢。翌年の夏剣沢で二週間過ごし八ッ峰、源次郎尾根を楽しんだ。昭和6年(1931年)麻布を卒業して、32年に東京商大(一橋大学)に入学する。記録では1520山の山行がある。著書ではヒマラヤに関する翻訳が多いが、
本人はヒマラヤへ行っていない。山岳の編集を21年間継続された。没後その蔵書は日本山岳会図書室に寄贈され「望月達夫文庫」として保存されている。深田久弥、諏訪多栄蔵、吉沢一郎さんと並んで、日本のヒマラヤ四天王と言われるほどのヒマラヤ通であった。日本のヒマラヤ熱を盛んにした1人であった。日本の山では「静かなる山」「続 静かなる山」「折々の山」が今でもよく読まれている。


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