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那須朝日岳遭難追悼号 |
那須朝日岳遭難報告(1972) |
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四月一日。坂本から僕の所に電話があり、八ケ岳行きのことを持ちかけて来た。阿弥陀岳の南稜だと言っていた。この山行は二月頃から計画されており、高松、坂本、藤田のメンバーで行く予定であったが、高松が行けないと言いだしていた。僕は初め高松が行くことになっていたので気楽に考えていたのだが、心配になってきた。そこで、ガイドブック等で阿弥陀岳南稜を調べてみると、とても僕達だけでは無理だと思い、リーダーの高野に四月五日昼頃電話で相談した所、「冗談じゃない」と言われ、坂本にも電話してやめさせるとのことであった。又、太田さんにも坂本を説得してもらうとのことであった。夕方、坂本の所に電話をすると、太田さんにさんざんしぼられたと言っており、山行きがあやしくなってきた。僕が先程高松の所に電話をしたら、どこか山に登るという様なことを言っていたと伝えたら、「それじゃ、高松さんについて行ってもらいましょう」と坂本がいい、高松に電話すると言って切った。その後、何回か電話のやりとりがあって、結局、那須に三人で行くことに決まり、四月七日に学校に集ることになった。その時、この前の合宿で使った団体装備を皆んなに持って来てもらうことになった。 四月七日、午前十時に学校に集合であったが、僕が一時間程遅れ、高松は十二時頃やって来た。この時永田にガソリンを買って来てもらう予定であったが、永田の都合で、坂本が出発前に永田と会って受取ってくることになった。坂本が食料、装備、コース等の計画をたててくることになっていたので、この日は、その計画を検討することになっていた。食料、装備はまあまあであったが、コース計画が、大丸 - 峰の茶屋 - 朝日岳 - 三本槍 - 大峠 - 三倉 - 大倉 - 大峠 - 三斗小屋 - 峰の茶屋 - 大丸、という様に、大分無理があったので、これを変更して、大丸 - 峰の茶屋 - 避難小屋 - 朝日岳往復 - 朝日岳中腹で訓練 - 三斗小屋 - 峰の茶屋 - 大丸か、大丸 - 峰の茶屋 - 避難小屋 - 朝日岳往復 - 三斗小屋 - 大峠 - 三倉 - 大倉 - 三斗小屋 - 峰の茶屋 - 大丸、という様なものにした。朝日岳の中腹で訓練というのは、朝日岳の途中にちょっとした岩場があるので、そこで行なうということであった。又、最終的に、朝日岳で訓練をするか、大峠の方進行くかどうかを決めるのは、現地で状況を見てからということになった。 今度の山行は、一応高松について来てもらうということなので、荷物を持たせないこととなり、又、僕が合宿に行かなかったので、団体装備は全部持つということになった。そこで、食料費として各四百円集め、ガソリンは坂本が忘れずに持って来るということ、明日上野駅に午後六時三十分集合ということ、この山行について坂本が、高野リーダーと平野部長先生、僕が太田さんに電話すること、等を確かめて、この日は午後三時頃に解散した。 |
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出発 四月八日 僕はその前日、準備等におわれて太田さんに電話をし忘れてしまい。この日の午前十一時三十分頃電話した所、高野から前日連絡があったらしく、「まあ、頑張ってやって来いよ」とのことであった。大体準備が出来、出発迄の時間をのんびり過していると坂本から電話があり、永田がガソリンを買えなかったとのことである。そこで近くのガソリンスタンドに電話をした所ホワイトガソリンがあるとのことなので、坂本に出発を早くして、出る時にポリタンを持って僕の家に来いと伝えた。午後六時頃、坂本から電話があり、高野さんにピッケルをもらいに行ったら、ホエーブスはそのまま、石油でも使えるとのことで、石油を持って駅に向うと言って来た。 午後七時過ぎ上野に着いた。末だ誰も来ていない。荷を置いて待っていると、五分もしないうちに高松が来た。雨が降っていたせいかコウモリ傘をさして来た。何でそんなものを持って来たのかと尋ねたら、「じいさまやおふくろが心配してうるさいんだ」と言っていた。結局その傘はもったいないと言って背負子にくくつつけて持って行くことにした。そんなことをしているうちに午後七時半頃になり、発車迄四十分位しかなくなってしまった。末だ坂本があらわれず、心配して電話した所、二十分位前に家を出たとのことであった。乗り遅れないかと心配しながら待っていると、午後八時五分頃にようやく坂本が姿をあらわしたので、あわてて、八時十分発の電車に乗った。電車に乗ってから、坂本が石油を忘れたと言い出し、遅刻のこともあり大分小言を言った。黒磯で石油を買っては、ということも考えたが、合宿の残りがニリットル程あるので、うんと節約すればなんとかなるだろうと言うことで、そのまま行くことにした。 午後十一時二十三分、黒磯に着く。駅の待合室で朝迄待つことにする。初めはトランプ等をしていたが、寝ないと明日こたえるので、午前○時三十分頃に打ち切りにした。しかし寒さのため余り寝れず、寝たり起きたりしていた。待合室にはストーブがあるのだが、そのまわりの席は全部占領されていた。 |
| 四月九日
午前六時頃、三人共起き、弁当を買って来て食べた。午前七時十分にバスに乗った。湯本(雪が降っていて、二〜三糎米程積っていた)で乗り換えて、八時十五分頃、大丸温泉に着いた。茶店で登山カードに記入し、雪が大分積っていたのでロングスパッツをつけ、少し休んでから出発した。 五十五分程で登山口に着く。朝、黒磯駅で会った地元のパーティーが、登山口の急斜面で滑落停止の訓練をしていた。その斜面を登りきり、三十分程歩いて小休止をとった。十五分程休んで出発。雪が大分降っていて風もかなりあった。しばらく歩いていくうちに僕がバテ、大分ペースが狂ってしまった。ようやく峰の茶屋に着いたのは十一時少し前であった。茶屋に人がいたので外で休み、避難小屋に十一時三十五分頃到着した。荷を置き、昼食にじゃがいもとコンビーフを食べた。紅茶をわかして少し飲み、テルモスに入れて、ヤッケ、オーバーズボン、ロングスパッツ(坂本はオーバーシューズ)をそれぞれ着けて、高松がザイル、三ツ道具を持ち、僕がツェルト、テルモス、軽燃、非常食を持って、茶臼岳へと出発した。(初めの計画では朝日岳であったが、昨日の寝不足がたたって全体に元気がなかったのと、天候が大分悪化して来たため、計画を茶臼岳に変更した) 避難小屋から峰の茶屋への登りは、新雪のせいもあって大分てこずった。それから進路を左へとり一路茶臼岳へと向った。しばらくして左手の急な斜面を登り稜線に出た。風のせいか余り雪はなかった。そのうちに吹雪いて来たので登頂をあきらめ、吹きだまりの所で雪上訓練をすることにした。内容は滑落停止、確保等である。午後四時三十分頃訓練を終え、避難小屋に向い、午後五時頃帰り着いた。 石油不足のため暖をたき火でとることにし、まわりの雑木林から枯木を集めて来て、軽燃で火を起した。細引を小屋に張ってヤッケ等を干してから夕食をとった。紅茶をわかせないのでつらかった。たき火が煙って来たので雪で消し、午後八時半頃、ツェルトを小屋の中に張って寝仕度を始めた。今日一日、余り元気のなかった坂本は九時頃先に寝、僕は高松が天気図を書かなければならないと言うので、十時過ぎ迄付き合った。 |
| 四月十日
午前六時起床。前日の話し合いで、今日は朝日岳に登頂し、荷をまとめて三斗小屋に行き、そこで荷物を置いて大峠迄往復し、三斗温泉で湯につかって一泊しようということになっていた。天気は、起きた頃は曇っていて風もあったが、しばらくすると風も止んで、絶好の登山日和りになった。 起きてからすぐに、昨日のたき火の後かたづけをしたり、小屋の中のそうじをしたりしていたので、食事が大分遅れてしまった。朝食は、昨日多めにたいた飯の残りと、豚肉、インスタントミソで雑炊を作って食べた。それから紅茶をわかして一人一杯づつ飲み、残つをテルモスにつめた。食事後すぐに僕が腹痛をもよおし、朝日岳に登るのはやめるつもりでシュラーフに入った。しかし、二人が装備をつけ終えた頃には大分良くなり、天気も上々だったので、一緒に行くことにし、急いで準備をした。日が照っていたのでゴーグルをつけ、午前九時三十分に避難小屋を出発した。順番は僕がスパッツをつけていないということで、高松、坂本、藤田の順になった。 |
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| 故・高松さん | 故・坂本さん |
| この日は坂本も元気が出て、皆んな気持よく朝日岳へ向って行った。この日はカメラを持って行くことにし、たっぷり撮って来ることになっていた。峰の茶屋で朝日岳をバックにして一枚づつ撮り、それから一つ目のルンゼを過ぎてから、三人でセルフタイマーを使って写した。(このルンゼは少し雪がやわらかく、時々足を踏みはずした)それからニツ目のルンゼをトラバースして行った。僕と坂本が帰りにここで滑ろうかなどと、冗談半分、本気半分で話していたら、高松が、「まあ、勝手にやってくれ」等と言っていた。そんなことを話し合いながらトラバースしていって、あと三分の一位の所迄来た時、僕達の頭上一・五米位の所にひびが入り崩れて来た。その直後に足元も崩れ出した様で、皆んな押し流されていった。この時、少し前につんのめった様になったが、何となく起き上れた様だった。僕が一番先頭に流された様で、後をふり向くと高松が、「浮け」と言う様なことを叫んでいた。それが生きていた二人を見た最後で、後はどんどん雪がかぶさってきて、何とか浮こうとしたけれどもなんの効果もなく、流れに埋って足から流されていった。それからちょっとたってから足に何かぶつかったらしく、「ガツン」ときた。そのため、少し身体がかたむいた様だった。だんだん息苦しくなりはじめ、口の中にどんどん雪が入って来た。その頃になってようやく、雪崩という考えが頭に浮かんで来たし、ひょっとすると死ぬんじゃないかと思えて来た。
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