那須朝日岳遭難追悼号




救助・捜索活動

(1972)

黒磯警察署



那須朝日岳に於て山岳部員遭難の報が入ると、OB会としては直ちに救助活動に入るべく行動を開始した。この間現地に於ては、黒磯警察署、那須山岳会、黒磯山岳会に依って救助捜索隊が編成され、午後一時二十三分、前後して高松、坂本両君が現場の雪の中より遺体として発見された。この報らせに、OB金代表及び、学校の先生方が現地に急行し、事後の処理にあたることになった。

此度の遭難に於て、極めて短時間のうちに遺体が発見され、御遺族のもとにおかえしすることが出来たのは、全て、現地救助捜索隊の迅速かつ適切な御尽力にょるものです。ここに心から御礼を申し上げるとともに、現地の皆様方には多大の御迷惑をお掛けしたことを、深くお詫び申し上げます。



昭和四十七年四月十四日

栃木県警察本部長殿

黒磯警察署長

那須岳剣ケ峰雪崩遭難救助(捜索)活動について

みだし活動を次のとおり実施したから報告する。

一、発生日時、場所

昭和四十七年四月十日午前十時ごろ那須郡那須町大字湯本那須岳剣ケ峰南東側

二、遭難者

(一)生存者

東京都港区白金六丁目四-十二
麻布高校二年 藤田信一
昭和二十九年八月十九日生(十七才)

(二)死亡者

横浜市鶴見区東寺尾町二〇一二
麻布高校二年 高松武信
昭和二十九年八月六日生(十七才)

(三)死亡者

東京都世田谷区奥沢八丁目二十二-十一
麻布中学二年 坂本道哉
昭和三十二年九月三十日生(十四才)

三、届出の状況

昭和四十七年四月十日午前十時四十分ごろ遭難者藤田信一が那須ロープウェー山麓駅に「峰の茶屋から朝日岳に向う途中雪崩にあい、自分も流されたがグループの高松、坂本の二名がどうしてもみつからない」と届出をし、同駅員の那須町役場湯本支所への通報によって午前十時五十分湯本支所から黒磯署に連絡があったもの。

四、救助(捜索)隊の編成

届出と同時に署長指揮のもとに当署員の隊員の招集を行なうとともに、那須山岳遭難防止対策協議会(那須、黒磯山岳会)に応援を要請し、次のとおり救助捜索隊の編成を行なった。

(一)警察署関係

総指揮 警視 奥村定夫
通信統制隊運用 警部 八木美智雄
現地指揮 警部 斉藤静夫
隊員指揮 警部補 永井長一郎
現地通信担当 巡査部長 高橋茂夫
署内無線担当 茂呂芳雄
隊員 巡査長 久保利作
パトカー通信運転 巡査 駒田清明
隊員 古川忠正
通信要員 技師 平山秀雄
隊員 事務吏員 薄井秀雄

(二)那須山岳会関係

那須山岳会々長 (遭難協常任委員) 阿久津哲二
隊員 那須山岳会員 前島良一
梅宮英則
平山満
薄井文男
室井正親
室井基男
越沼利男
菊池米三
藤田和助

(三)黒磯山岳会関係

隊員 黒磯山岳会員 三本木忠二
鎌田敬六

五、救助(捜索)活動の状況

救助隊は、編成完了と同時に個人装備および救助、捜索用の装備を準備し、当署員および黒磯山岳会員は、届出から四十分後の午前十一時三十分黒磯署を出発、那須山岳会員と湯本大丸で合流し、ロープウェー山麓駅に待たせてある藤田信一から詳細な事情聴取を行ない、図上検討を行なった。

検討の結果「二日前からの積雪による比較的雪量の少ない雪崩であり、下層部はアイスバーンになっていることから遭難者は、雪崩の終点近くまで押し流されているであろうことが推測できる」などから夏山登山道を峰の茶屋に向うよりは、朝日林道から雪崩現場を下方から捜索した方が合理的であるとの結論に達し、救助隊は鉱山事務所において署長および現地経験者から必要な指示を受け、午後○時二十五分現場に向け出発した。

現場および朝日林道は、岩かげとなり沢にほぼ平行であり、捜索開始予定地点が低い位置にあるためパトカーとの交信が不能になることを予想し、途中で署長、斉藤警部、平山技師の三名が無線中継を行なうため、夏山登山道を第一展望台に向け、ここで救助隊は二班に分かれた。

朝日林道から第一、第二砂防堤を越えて剣ヶ峰の沢に続く、尾根の見えるところまで前進したとき、剣ケ峰南東側の尾根に巾二十米、長さ二百米、厚さ一〜一・五米にわたる雪崩の状況が認められ一見して遭難現場であることが判明した。

雪崩れ現場の確認ができた隊員は、足並が早くなり、隊員が雪崩最終点に到着するや、午後一時二十三分梅宮隊員が雪中に血こんを発見したので、遭難者は、近くであることが判断され、警杖等により、雪中を捜索したところ、血こんの上方約二米の地点で同隊員が第一遭難者(高松武信)を発見した。遭難者は、頭がい骨粉砕により死亡していることが確認され、頭部を北方にして、ほぼ水平に横臥の状態で雪中約三〇糎米のところにうずもれていた。

他方、第一遭難者の発見とほぼ同刻のころ、平山満隊員が第一発見現場から左斜め上方十五米の地点で第二遭難者(坂本道哉)の雪中約二十糎米のところに発見したが、遭難者は、右前額部頭がい骨々折と雪崩による圧死(窒息)と認められ発見時すでに死亡していた。

第二遭難者は、サブザックを背負ったままで、しかもピッケルバンドの先端が右手首にきつくしめつけられ、身体の状態は第一遭難者と同一であった。

遭難した二名は、雪に押し流される途中雪上に露出した岩石等に頭部を打ちつけこれらの負傷により死亡したものと思料される。

救助隊員は、さらに遭難者が所持していたものと思われる、ザック、手袋等を発見したのち、遺体となった遭難者の収容活動に移った。現場は、アイスバーンになった上に雪崩れによる雪がおおいかぶさったうえ四十度近い急斜面のため、収容活動には、困難と危険をきたしたが、訓練された隊員の迅速適切な活動にょりわずか十分間でスノーボートニ艘に収容を完了、一艘につき五名がザイルで操作をしながら、午後一時四十分、現場を出発、先導員二名が雪道を作りながら、搬出をし、午後三時三十五分無事鉱山事務所に下山した。遺体収容作業は一応終了したが、申告者藤田信一が「避難小屋に前夜宿泊した際の荷物を残してある」と申し立てたので、引続き、薄井(秀)隊員ほか四名が再登山し、午後四時五十分、ザック、食料等背負い無事に搬出してきた。

よって同刻をもって救助(捜索)隊を解散し、遺体を遺品と共に湯本喰初寺に安置、午後十一時十分同寺において遺族に引渡しをした。

六、遭難者の行動と遭難時の状況

四月八日

夕刻上野駅を出発
午後十一時十分黒磯着
同日は黒磯駅にて仮眠

四月九日

午前七時十分湯本行バス乗車
午前九時ロープウェーから登山
茶臼岳経由避難小屋泊

四月十日は午前九時三十分避難小屋を出発、午前九時四十五分峰の茶屋で小休止をしたのち、朝日岳に向け高松、坂本、藤田の順で相互に一米位の間かくを保ちながら進行し、峰の茶屋から百〜百五十光進んだ左側の剣ケ峰の中腹にさしかかるや、雪崩にあい藤田は、百米流され、他の二名は、瞬間的に見失ってしまい、不明になってしまった。

途中で自力にょりはい上がった藤田は他の二名を捜したが、見当らず名前を呼んでも返事がないことから峰の茶屋から続いている登山道に戻り、自分一人では、捜索、救助ができないと判断、ロープウェー駅まで下山して、同駅員に対して遭難の事実を申告、救助を求めたものである。

七、積雪の状況および当日の天候

那須岳一帯は、四月九日夜二十〜三十糎米の降雪があり、特に、鉱山事務所付近から上方は、おりからの根雪とあわせて、吹きだまりの沢などは、二〜三米の積雪があり、平斜面でも、平均一米前後の積雪である。

朝日林道は、平均の巾員が三米前後であるが、雪が山側に四十五〜六十度の傾斜を作って、凍結し、道路は、路肩の確認ができない状態であった。

当日の天候は、晴、西よりの風風速五〜六米、気温七〜八度であった。

八、使用した装備資器材

乗用車 一、パトカー 一、スノーボート ニ、ザイル 五本、メガホン 一、スコップ 十、携帯無線機 四、警杖 十

その他個人装備品完全着装



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