那須朝日岳遭難追悼号




OB会現地行動報告

(1972)

福井明夫



4月10日、遭難発生の第一報を受けてから現地へ行き、高松、坂本両君のご家族に遺体をお渡しし、ある程度の後始末を行なって来たが、現地の救助隊により、捜索、発見、収容の作業がす早く適切に行なわれていたため、我々の現地での行動は、状況をお聞きする事、両君のご家族の遺体のお引き取りに立会う事と、事後のお礼、挨拶に終始した。


4月10日午前10時50分、遭難発生の第一報が入り、太田君の自宅を第一連絡所にて救助隊を編成すべく各OBに電話連絡をとり、出動の準備をする。そうこうする内、現地より両君の遺体を発見、収容作業中との連絡が入る、その為、現場での作業の必要は無くなったが、身体をすぐあけられる者は直ちに現場へ出発する事にする。

上野発16時10分、急行「ばんだい4号」にて現地へ向う。18時16分黒磯到着直ちに、現地の救難対策本部が置かれた黒磯警察署へ行く。

同署にて担当係官の方と、救助隊の指揮をとられた平山氏に、救助依頼の第一報から、捜索、発見の状況と、両君の現在の安置状態等をお聞きする。同時に、列車を分れて来た他のOB、先生、現役の諸君と同署で合流する。

警察での話では、すでに両君の遺体収容作業は終了し、湯本の喰初寺に安置して、湯本駐在所の久保氏と黒磯署の隊員の方がつきそって下さっているとの事であった。

同署にて、先生、OB諸君と協議の末、当夜は両君を安置してある喰和寺の近くにある、山楽旅館と、黒磯市内の警察署の近くの梅屋旅館に宿を取り連絡所を設置する事に決める。

大方の作業を現地の方々がして下さっていたため、若手のOB、石橋、大室、君ケ袋と現役の池谷、永田、高野の六名を東京に帰す。午後8時、藤田君とお父上、高松君の父上の会社の方、大賀、増島、武神、平野部長の四先生方と、太田、林、福井の計十名が、両君を安置した湯本の喰初寺へ向う。

矢部、森、上領、小野の四名は黒磯に残り、連絡と高松、坂本両君のご家族、ご親戚のご案内に当る。

午後8時40分、湯本喰初寺着。太田はすぐ前の山楽旅館に室を取り、現地連絡所を設置、東京、黒磯との連絡に当る。他は両君の遺体に対面、ご家族の到着迄両君をお守りする。両君の遺体は白木に納められ、寺の一室に安置され、救助に出動して下さった警察の方に見守られていた。

我々も焼香をし、隊員の方に、両君の遭難から収容迄の状況を改めてお聞きする。両君と共に遭難した藤田君の話と救助隊の方々からのお話とも遭難の原因はトラバースによって起した新雪表層雪崩であり、二人とも即死との事であった。

柩の上に置かれたピッケルと、脇の山靴、ザックが我々の胸に改めて両君の遭難死を焼きつける。


夜9時、高松君の祖父、母上、御親戚の方々、続いて9時40分、坂本君の父上、叔父上、そして藤田君の母上が黒磯警察署へ到着。同署にて遭難の状況の説明を聞き、10時40分、御家族の方々はパトロールカーの先導で黒磯を出発。

11時20分、湯本喰初寺着。高松、坂本両君とも、ご家族に無言の対面をする。

安らかではあるが、起きる事の無い両君の寝顔が二人の突然の死を御家族の方々の胸にやきつけているようである。

御対面の後、ご家族は両君の検死をして下さった見川医師宅へ行き、検死報告書を発行してもらう。

喰初寺へ戻り、これまで両君に付添っていて下さった警察の方々からご家族へ、両君の遺体と遺品をお引き渡しする。

当地で通夜が出来るよう、宿泊等の準備は整えておいたが、御家族の方々の今夜中に帰京したいとのご希望で、直ちに出発の用意をする。

両君の遺体を夫々ご家族が用意された車に移し、午前零時50分、東京へ出発する。

両君とご家族をお送りした後、疲労の激しい藤田君とご両親、坂本君のお父上の勤め先の方々と我々は山楽旅館に室を取る。

先生ら四人と我々で協議の末、明日11日中に、今回の事故でお世話になった地元の方々にお礼とご挨拶に伺ってから帰京する事に決める。そのむねを黒磯と東京に連絡し、当日の行動を終了する。


4月11日、東京へ帰る藤田君と、大賀、増島先生を見送った後、山楽族館を引き払い、黒磯の梅屋旅館だけを連絡所に残す。

全員黒磯へ下り、お礼の品物を買い揃える。お礼は、金銭的なご迷惑をお掛けしている所へは現金の弁済とお酒を、他へはお酒と菓子を買い揃える。

お礼等に関する費用の負担等は学校側、OB会側両方とも全て負担したい気持であったが、ひとまず、この場では出費の内容を明確にする為もあって、一切の費用の出口を先生にお預けする。

お礼の品物を整え、タクシーで武神、平野両先生、OBの太田、林、福井の計五名で出掛ける。

まず、藤田君が救助を依頼に初めに立寄った硫黄鉱山事務所の小島氏にお礼をしてから、救助依頼の連絡を取り、藤田君の面倒を見て下さったロープウェイ駅の高野氏や、売店の方々をたずねお礼と、その時の費用をお返しして、昨日の話をお聞きする。三人が登山カードを記入した、大丸温泉の川端氏のお店へ御挨拶に寄り、雪があちこちに残る同地を下り湯本へ。

高松、坂本両君の検死をして下さった見川先生宅へ伺いお礼をする。

遭難発生以来、御家族に両君の遺体を引き渡す迄、ずっと御面倒をお掛けした湯本駐在所の久保氏のもとへお礼に伺う。

遺体収容、検死の後、両君に着せる浴衣を貸して下さった警視庁那須高原荘をたずね、あいにく御主人は不在であったが、お礼を済ませる。湯本より上での大方のお礼等を済ませ、喰初寺へ。同寺のご在職に昨日のお礼と、両君の回向斜、お布施をお支払いして、残してあった登山装備を引き取らせて頂き、黒磯へ下る。

遅い昼食の後、黒磯警察署へ。あいにく署長はご多忙との事であったが、同署の方にお礼を申しあげる。同署で、両君を納めたお棺の代金を葬儀屋さんへ支払う。直接お会い出来なかった救助隊の隊員(警察、地元山岳会の方々)へお礼を、隊の指揮を取られた平山氏に託して、11日、現地での行動を終了とする。

現地連絡所にしていた黒磯の梅屋族館を引き払い、列車にて帰京する。


我々、現役、OB共現地へ赴き、丸一昼夜の滞在だけで、一応の事を済ませて来ることが出来たが、これも、救助隊を組織した現地の黒磯警察署、黒磯山岳会、並びに那須山岳会の皆様の大変なご苦労によるもので、ここに改めてお礼を申し上げる次第である。



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