[chronicles]



1958年度(昭和33年度)をふり返って

加藤和彦



この年は、部員数もひかく的多く、活発に部活動の出来た年であった事が、楽しい思い出として残っている。

少ない予算の中で、天幕がほしい、キスリングがほしい、アイゼンがほしい、部報を発行しなければと走りまわった。

当時さかんであった麻布ボールを学校の屋上で暗くなるまで続け、マラソンなどのトレーニングにはげみ、合宿前にはキスリングをもってアメ横に買出しに行くなど、かなりいそがしい毎日をすごした。部室では、ラジュースのテストの名目でカレーを作って食べた味は今もわすれない。


また当時の部長先生である中畑先生、0B諸兄の協力は絶大で、合宿出発時の見送り、饅別の数は大量で、だいたい合宿中の間食はたりたものである。おかげで山に入ってもAACはかなり大きな顔をしていたと記憶する。

山行計画は、春山合宿にこの一年の照準を合わせて立てた。5月の谷川岳では、雪崩のすごさを目のあたりにしておどろき、夏の剣から槍、燕まで長い長い縦走中に一名の脱走者を出してしまい、その後は残ったたった一名の高一をみんなで大事に大事に合宿を続け、最終日の中房温泉では、全員フルチンで水泳大会を開いたことは今でも忘れられないチン事である。


秋に入ると屋上から見る富士山は日増しに白さを増し、11月富士山へ冬山の第一歩を踏み入れた。東京から見る白さとはうらはらに雪が少なくがっかりもした。逆に冬休みの妙高山では大量すぎる位の雪で、合宿計画を変更するほどラッセルにしごかれたりもした。そして最終目的の春休み、常念を終えた時は、無事一年間をやりおえた満足感でいっぱいだった。

(1976年記)




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