[chronicles]



1967(昭和42)年度をふり返って
林恒生


山岳部創立以来、我々は21年目の現役である。年度初めより現役間には、台湾遠征だの韓国遠征だの、今考えてみれば、ただ登山のみには終らないような地に、若い夢を描いていたのである。結局リーダーを勤めた私の未熟さで、現役の盛り上がりに致らず、自然消滅してしまった。

かつてマナスルブームが日本を覆ったころには、身動きできないほどの現役が、部室にひしめいていたと聞いている。ただ我々が麻布山岳部を知る頃は、それは伝説化しており、少数精鋭的な様相となっていた。特に私の同期は、高校に入ってから急に膨れ上がり、また対称的に、直ぐ下の下級生が待てど暮せど、入ってこなかった。従がって我々の現役時代の下級生は、自分達より遥かに多い勝手気ままな先輩に、さぞや閉口していた事だと思う。中でも私なんぞは、同級生をも尻にしいて、勝手放題であった事など、今では同級生や下級生の人達に深く感謝している。

当時では、高校生として北アルプスや南アルプスの頂を踏む事が、自分等の最大の夢であり、また少々生意気に自分達の生きがいだとまでも思っていた。今思い起こしてみれば若気の到りである。よく合宿の行き帰りに、山麓のバス停や、汽車の中で、同じ年頃の中学生、高校生と会うが、彼等に対して湧いてくる競争意識は凄まじいものであり、また同様に彼等も燃えた事と思う。その点あの頃はたとえ劣等感を感じてもそれは明日へのくそ意地となったし、また今の自分達の中にもあの若さは依然としてあると信じている。

最近ではアルバムを引っぱり出しては、あの頃を思い起こすが、不思議と楽しかった多くはすぐに想い出されるが、苦しかった事などはほとんど記憶にない。人間とはかくも都合のいいものである。今でも同期の仲間、親しい先輩、後輩とはたびたび会う機会をつくるが、当時の想い出もさる事ながら、今でも年がいもなく、夢を語り合ったりもする。あるいは本当に頭の程度が後退こそすれ、成長などしていないのであろうか?

私などは、今のOB会の中では、未だに現役の上にくっついているような小童であるが、年と共にやがては自分にも、英雄的存在となりつつある、中村太郎氏を筆頭とする諸先輩の永遠の若さが備わる事を期したい。

(1976年記)




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