[chronicles]



1994年度をふり返って

林 卓



平成6年4月、高三が引退し、僕はリーダーになった。とはいっても、このとき部員は僕と土肥の二名のみ、僕らは部がつぶれることを覚悟しており、歴代の山岳部OB方にたいし、少々のうしろめたさをかんじつつも、気楽に登山を楽しむつもりでいた。なんとか部を立て直そうという気力もなく、またその必要もないだろうとおもっていた。ただ、山岳部最後のリーダーという不名誉な役割を甘んじてうけようと考えていた。

僕が入部した頃から、すでに山岳部はいきづまっていたように思う。山に登ることに対し、部員たちは明確な目的意識をもっていなかったし、また、部員どうしの連帯も弱かった。そしてなにより致命的だったのは、山に登りたいという熱意が欠けていたことであろう。部全体に漂うだらけきったムードはぬぐいようもなく、リーダーばかりが部員に喝を入れようとやっきになり、他の部員たちと衝突をくりかえし、ますます部のムードが悪くなっていくという悪循環をくりかえしていた。そして、そんな状態は必然的に、新入部員が入らない、もしくは入ってもすぐやめてしまう、という事態をまねき、気がつくと総部員二名、ということになっていたのである。

ところが、夏休みを前にした6月、山に登りたい中三が二人いる、という話が先生のほうから伝わってきた。そこで、さらに高二の二名を加え、夏合宿を行なうことになった。この合宿は天気もよく、楽しいものであった。そして合宿後、中三・二人、高二・一人が入部したのだ。

山岳部の悪い流れを断ち切るならこのときしかなかったはずだったのかもしれない。しかし、そんな気力も能力もそのときの僕にはなかった。水は低い方に流れる、ということなのだろう。結局のところ山岳部は構造的な矛盾をかかえたままである。おそらく流れを逆転させるような、大がかりな改革を進めていかない限り、今後とも問題は解決しないであろう。

ふりかえれば後悔と反省ばかりである。やるべきことはいくらでもあったはずだし、なにより、あのめぐまれた環境にあるうちに、もっと山に登っておくべきだった。もっとも、今考えれば、のはなしではあるが。当時の僕は十代の混迷のまっただ中にあり、そんな余裕もなければ、見通しもまったくきかない状態だった。結局、高三の5月、僕はひきつぎや後輩の指導も中途半端なままに、非常に無責任な形で引退してしまった。後輩たちには本当に申し訳ないと思う。

山岳部での五年間をすごしたことで僕がなにを得、なにを失ったのか、僕にはわからない。が、ただひとついえることは山に登る楽しさを知ることができたのは山岳部のおかげである、ということだ。もっとも、山岳部にとって僕がかかわったことは災難であったにちがいないが。

(1996年記)




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