[chronicles]



1999年度山行記録

1999年(平成11年)12月
  • 冬合宿・飛竜〜雲取(12月22-24日)土本真之介、佐藤尭彦(中二)、増子寛(顧問)、山本真一郎(OB)。
    • 22日:〜三条の湯
    • 23日:三条の湯〜飛竜山〜雲取山〜三条の湯
    • 24日:三条の湯〜下山

    今回OBになって始めての合宿に参加することとなった私[東京都立大学落語研究会所属 体力がない]には、一つの懸念があった。それは、バテないかということである。今までの数々の山行で敗北を喫してきた私だが、OBとなった今回こそは先輩としての威厳を見せねばならない。幸いな事に、今回参加するのは私のほかには先生[山岳部最強の漢]を除けば中二のみ。勝利は堅いはずであった。

    <事前の仕込み>いかに中学生とはいえ、侮る訳にはいかない。私は秘密特訓を行なう事にした。なぜ秘密なのかといえば、知られるとカッコ悪いからである。私は走った!三輪車より速く!私はご近所を駆けた!来るべき栄光のために…。

    <性能試験>ついに後輩とトレーニングをする日がやってきた。おお、体が軽い。まだまだ行けるぜ。それに比べて後輩はバテバテだ。その日の私は、勝利を確信してノリノリであった。(調子にのりすぎた私が帰宅後熱でダウンした事は、君と僕だけの秘密だ。)

    <合宿初日> (晴)ついに山にこもる日がやってきた。しかし、林道にタクシーが侵入出来ない事が発覚。2時間の林道歩きが決定した。(事前の調査では、車での侵入は可能との事だったが、それは物理的には可能という意味であり、実際の侵入は禁止されているらしい。)
    途中佐藤 [だじゃれ王。道をジグザグに他人の倍歩く習性をもつ] が少し遅れかけたものの、基本的に平坦な道のりだった為、充分に余力を残して三条の湯についた。とはいえ時間が遅く、飛竜山へのアタックは、翌日に持ち越される事となった。

    <二日目> (晴)時間が許せば飛竜山と雲取山をこの日のうちに連続で登ってしまうことになった。コースタイムは9時間半。いくらなんでも後輩に重い荷物を持たせる訳にはいかないので見栄をはって私が持つ事にした。これで今日のヒーローは私だ。最初の内は快調であった。私も増子先生の汗を拭きつつ順調に距離を稼いだ。しかし、二本めの休みをとった辺りから燃料が切れはじめ、バテてしまった。ここにて私の夢は断たれたのである。その後大きな荷物は、土本[山小屋のおやじマニア。飯づくりがうまい] が持つ事となった。
    飛竜山は、雲取山より標高は高いものの、木のせいで眺めはあまり良くなかったので、その後は雲取山の眺望に全ての期待が寄せられた。
    残された時間が僅かななかで、中2の底力が爆発!尾根を休まずに走破し、雲取山に取り付いた。特に土本は重い荷物をものともせず、軽快な足取りであった。雲取山には5センチ程しか雪がなく、アイゼンも必要ない好条件であったとはいえコースタイムをも上回るスピードであった。山頂からの眺めは快晴に恵まれてすばらしかった。
    その後は一気に三条の湯まで下って風呂に入りのんびりと休んだ。

    <三日目 >(晴)一気に下ってタクシーにのって帰った。三日共晴れてよかった。


2000年(平成12年)3月
  • 春合宿・奥秩父酉谷山(3月21-23日)L土本、佐藤(中二)、野本勇(顧問)、山本(OB)。
    • 21日:三峰口===三峰神社---霧藻ヶ峰---白岩山
    • 22日:白岩山---芋の木ドッケ---酉谷山---一杯水避難小屋
    • 23日:一杯水---川苔山---奥多摩駅

    食糧
    21日
    ///
    行動食A
    カレー
    22日
    おじや
    行動食B
    豚汁
    23日
    おしるこ
    行動食C
    ジフィーズ予備食
    予備日
    マルタイ
    行動食D
    ///

    装備

    天幕類
    テント(本体、外張、ポール)ペグ15、竹ペグ10、兼スコ
    燃料類
    スベア、灯油1.5L、EPIガス
    炊事類
    コッフェル、水ポリ3、やかん、テルモス
    小物類
    ライター、針金、細引、漏斗、メタ2、ビニール袋、ガムテープ、リペアテープ、ろうそく、電池、アイゼンバンド、ラジオ、天気図用紙
    その他 医療パック

<1日目> 池袋で待ち合わせ、しかし、集合時間は7:00なのに野本先生と山本さんと僕は、すでに6:30に来ていた。僕は、今会リーダーなので当然だと思うが先生と山本さんはすごい人だ。

西武池袋線に乗り、お花畑駅で乗り換え、三峰口へ行き、そこからタクシーで行った。運ちゃんの話によると、時間とお金は一緒だそうなので、そのままタクシーで三峰口まで行った。

その日は白岩山まで行きそこで泊まったのだが、道が泥でグチャグチャか、凍ってツルツルかだったので、歩きにくかった。その日は豚汁で前回よりはうまかった。


<2日目>

昨夜はパラパラ雨が降っていたのだが、今日は晴れた。朝はお汁粉だったが、甘くて食が進まなかった。白岩山を出発してわかったが、この日は風がものすごく強くて寒かった。しかし、道は思ったよりもよく、歩きやすかった。酉谷の山頂を通って、一杯水避難小屋で泊まった。その夜はカレーで、一瞬で宇宙の真理を理解し、そしてそれを忘れるほどまずかった。先生の黒豆がありがたかった。

<3日目>

 

一杯水から川乗へいった。その間道は広くて気持ちよかった。川乗から本仁田まで行く時、道を間違え尾根の方へ行ってしまった。大ダワへ行った時は天気も悪く、疲れていたのでそのまま下りた。駅でラーメンをおごっていただいた。おいしかった。[土本記]


<山本OBの山行記録>

三月二十一日(晴) 今回は、時間が無いため池袋に集合して特急を使うという贅沢な始まりとなった。しかし快適なはずの車内で、寝ていた私は金縛り。気合で金縛りを破って三ツ峰口に到着した。最初はバスとロープウェイを使う予定だったが(ロープウェイの始発が遅いのが、このルートのネック)、タクシーで三ツ峰神社に直接行ける事が分かったのでこちらを利用した。
水の汲み忘れで、最初にバタバタしたものの親切なビジターセンターの方に水をもらい、出発する。雪は、今年は全体的に少なかったようで、一本目からちらほら見受けられたものの、アイゼンを使うほどではなかった。本来はこの日のうちに雲取ヒュッテまで行くはずだったのだが、白岩山山頂についた頃日が暮れだしたのでそこでビバークすることにした。水が無いので雪を溶かし、食事を取って寝た。

二十二日(晴) 結局雲取山に登るのをあきらめて長沢背稜を下る事にした。芋の木ドッケ周辺でやや道が荒れていたものの、健脚向きとの立て札が立っていたわりにはしっかりした道で、歩き易かったが、長沢山から水松山にかけて耳がちぎれるような北風を受けて体力を消耗した。最も長沢、水松、酉谷の各山頂からの石尾根の展望は素晴らしかった。この日は二時ごろに一杯水避難小屋にたどり着き、小屋でのんびり休んだ。ただ、水場が完全に枯れていたので、また雪を溶かさねばならなかった。土本が二回程床に転げ落ちたのを除けば快適な夜だった。(前日のテントより寒かったけど)

二十二日(晴) いよいよ最終日である。ただ下るだけでは芸が無いので、蕎麦粒山、川苔山、本仁田山に登る事にした。蕎麦粒山の登りは、道が狭く、ぬかるんでやや状態が良くなかったが、山頂では、石尾根や雲取、それに富士の展望が素晴らしかった。そこからは、日向沢ノ南峰まで開けてはいるが急な坂道を登り下りした。これは川苔山本体の登りよりきつかった。川苔山も展望が良く、さらに気温も上がっていたので快適であったが、花粉症の土本と野本先生はちょっとつらそうだった。特に眼に症状がでた野本先生はかなり大変そうであった。 (目薬を忘れたのが敗因)
その後、すこし降りたところでこの山行で始めて水の出ている水場を見つけしこたま飲んだ。これでやや疲れを見せはじめていた佐藤も元気を回復して後は本仁田山を残すだけとなったが、この頃から急に天候が悪化しはじめ、さらに鋸尾根の悪路で時間と体力をかなり消耗したために、登山をあきらめて大ダワからはとのす駅まで一気に下った。



<野本先生のコメント>

春合宿は天気も良くのんびりと登れましたが、(中学生2名で仕方がないのですが)少し以上に物足りなさを感じました。
山岳部は人気が今ひとつ無いのですが、山に行ってみたいという生徒は多いので、今後を楽しみにしています。





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