岩燕

tome IV - 合宿報告 5・6 + 雑録 4


 

北アルプス全山縦走

(1/2)
1952年(昭和27年)夏合宿
内藤担・一杉正治・松田裕明・青木義明




page 1/2:合宿概要・行動記録1/2 - page 2/2 行動記録 2/2

概要:

  • 目的:夏合宿
  • 日時:
    • A班 7/15(夜行)-7/29
    • B班 7/18(夜行)-7/24A班と合流
    • C班 7/20(夜行)-7/28
  • 場所:北アルプス

予定行動図 行動図

  • メンバー:
    • A班:鹿島康彦・伊藤栄康・内藤担(H2)
      B班:青木義明・長谷川栄一(H2)・笠原達雄・後藤正孝(OB)
      C班:中村彰宏・一杉正治・高橋重樹(H2)・松田裕明(H3)・近藤隆治・神原達(H1)・荒木徳也(OB)



7月15日

A班
鹿島・伊藤・内藤

B班


C班

出発〜

新宿駅発(22:15) -

北ア合宿第一陣として鹿島(リーダー)、伊藤、内藤の三名、先輩等多数の見送りを受けて例の如く二十二時十五分発長野行準急に乗り込む。[内藤]













7月16日

A班
鹿島・伊藤・内藤

B班

C班
〜白馬尻

松本(5:17-5:44)〜大町(6:50)〜四谷(8:00)〜細野(8:10-10:00)〜二俣(10:15)〜猿倉(14:00-15:30)〜白馬尻(16:30)

白馬大雪渓

晴後曇。

大町で中土行きの電車がなかなか出ないためバスを利用して細野に至り、米を仕入れて出発。

真夏の太陽は頭上からじりじりと照りつけ、背中の大荷物はぐいぐいと肩に喰い込んでくる。いつもの事ながら初めて山へ入る日は身体は慣れていないし、荷は重いし、麓の単調で暑苦しく、而も埃っぽい道の退屈さと悪絛件が重なり実に辛い。まだ時期が早いせいか登山者は殆ど見られない。

二股の河原で朝食をとり、十一時出発。暫く単調なバス道路を喘ぎ喘ぎ行くとやがて沼池尻から道は細くなり森林帯の中へ入る。猿倉小屋着二時。遅い晝食を済ませて三時出発。四時に白馬尻に着く。

時期の早い故もあったが例年よりずっと雪が多く白馬尻の小屋は雪渓の下に押し潰されたままである。雪渓の上を吹き下して来る風は、汗ばんだ身体を思わずジクジクさせる程冷い。雪渓を渡って対岸の岩小舎に行き、急いで薪を集め、料理にとりかゝる。飯がすむともうする事もないので、焚火を囲んで明日からの行程などを話し合い八時就寝。[内藤]













7月17日

A班
鹿島・伊藤・内藤

B班


C班

白馬尻停滞

白馬尻に沈殿

雨。

岩小舎の入口から流れ込む暁方の冷気に目がさめる。どうも湿っぽいなと感ずるのも道理、外は雨がしとしと降っている。一日沈殿することに決め、朝の中に薪を一杯集める。

濡れた薪は仲々燃えず、煙は狭い岩穴に充満し、交代で火焚きをやるが、五分も居ると松葉にイブされた狸のように眼を真っ赤にして飛び出してくる。火焚きに夢中になっていると早くも一日は暮れる。雨は止みそうもない。[内藤]













7月18日

A班
鹿島・伊藤・内藤

B班
青木・長谷川・笠原・後藤

C班

白馬尻停滞

白馬尻に沈殿

雨。

再び沈殿。退屈な身体を持て余し、雨の中を大雪渓へグリセードをしに行くが傾斜が緩くさっぱり滑らない。岩小舎も雨が漏りだした。「これ以上遅れてはサポート隊に会えなくなる。明日は少々降っても出かけよう」と相談一決、少し気が軽くなる。

夜、岩穴のうっとうしさに耐え兼ねて外へ出る。いつの間にか雨は止んで雲の切れ間から星が二つ三つ輝いている。大雪渓は晝間の薄汚さとは別物のよう(ママ)純白に輝いている。吹き下してくる風は身を切るように冷い。[内藤]




出発〜

新宿駅発(22:15) -









7月19日

A班
鹿島・伊藤・内藤

B班
青木・長谷川・笠原・後藤

C班

白馬尻〜天狗

発(4:45)〜村営小屋(9:50)〜杓子の脇(13:00)〜鑓ヶ岳(14:05-14:30)〜鑓温泉下り口(15:00)〜天狗の池(15:50)

杓子岳・白馬鑓ヶ岳

晴後曇。

久しぶりの快晴、空には雲一つない。大急ぎで飯をかき込み六時出発。

六月の大雨で雪渓には大きなクレヴァスが諸々に口を開けている。赤旗に導びかれて八時半葱平に上陸。雪融けの後、萌え出たばかりの薄緑の若芽が鮮やかに目に沁みる。小雪渓をトラバースし、高山植物の大群落の中を登りつめて村営小屋着十二時。ここの特設郵便局で部長先生始め先輩諸兄へ手紙を書き、ザックを置いて頂上へ向う。

流石は一等三角点だけあっていつ来ても眺めは素晴らしい。最盛期には銀座通り以上の人出になるここも、七月中旬ではひっそりとしている。

一時頂上を辞し村営小屋迄馳せ下り、いよいよ縦走路に入る。杓子の中腹を捲き、鑓の登りにかかるころから雲行きが怪しくなり出し、鑓の頂上ではガスの中で何も見えなかった。

ここからだらだらとした登り降りを一時間程辿り四時三十分天狗の池着。ここで天幕を張り終った頃大粒の雨が降り出し、折角燃え出した火を消してしまう。やむなく携帯燃料で半煮えの飯を炊き、早々に天幕にもぐり込む。[内藤]




〜扇沢

松本(6:14-6:40)〜大町(8:00-9:00)〜昼食(11:50)〜扇沢(18:00)夜降雨

晴。

燕へ行く人々で電車も空いてくると汚い服装をし、でかいザックを持った登山者ばかりになる。山の気がぞくぞくと身にしみるようだ。

やがて夜明けの大町駅に着く。二、三日前から、橋がこわれてバスが行かないそうである。

我々は、町の中を歩き始める。あれだけ電車は混んでいたのに、峠へと向うのは我々だけである。
ガチャリ!ガチャリ!

ナーゲルの心地良い音が、セメントの道にひゞく。早くも白いザックの重みが肩に来る。町をはずれると、朝の日は、さえぎるものもなく我々に照りつける。自転車が通る。山が近づいてくる。橋の工事をしている大出に着く。一休みして汗をぬぐい、いよいよ山にかかる。

凸凹の石の道が続く。土の道にでる。土の夏さ[ママ]が薮の中に[ママ]入り込んでくるようだ。重いザックは肩にくい込み、息が切れる。先頭との差も大きくなる。
ひんやりした森林を抜けると、日は既に暮れかゝり、山間の谷川はもやがこめるように暗い。

薪を拾い集めたが、湿った木は燃えつかず、ついてもすぐ消える。コッフェルに出したカンパンが、どんどんへる。火は、まだつかない。飯ができて、おかずをという時、暗くなってきていた空は、一時にザアッとくる。

慌てて、テントに入る。あたりは真暗だ。毛布を引っ張り出して寝る。腹はへる。頭はゴツゴツした石に当り、曲がった腰にも、小さな石がくい込む。小さいテントに四人、ちょっとでもさわると雨がもる。身体は動かせず、ついになき寝入りだ。[青木]




今夏はその合宿を北アルプスに於て行うことに定め、A班は白馬岳より穂高に到り、B班は針ノ木を経て立山、剣岳に到ることにし、我がC班は、残りの部員を以て編成し、そのコースを烏帽子岳より槍ケ岳を経て常念岳までと定めた。A班、及びそれに次いでB班が既に出発し、C班はA班に烏帽子岳に於て合流する為、最後に東京を発った。

しかしながら結果に於て、天候その他の原因により計画に反し、A班が針ノ木岳にて縦走を中止した為、C班は烏帽子に於てA班とは合流することは出来なかったが、予定より一日遅れて無事既定の合宿を終ることが出来た。以下はC班の行動をその日程に添って記したものである。

又この山行には、荒木、松田の両先輩が参加され、槍ケ岳までC班と行動を共にされたことを附記しておく。





7月20日

A班
鹿島・伊藤・内藤

B班
青木・長谷川・笠原・後藤

C班
中村・一杉・高橋・松田・近藤・神原・荒木
天狗〜白岳

発(7:30)〜天狗下り(上部)(8:20)〜最低鞍部(9:05)〜不帰第一峰(9:45)〜第二峰(11:40)〜唐松岳(13:50)〜唐松小屋(14:30-14:40)〜白岳小屋(18:30)

唐松岳方面より五竜岳

快晴。

昨夜の雨のせいか、カラリと晴れ上がり頭上には雲一つなく、足下から拡がる雲海の彼方には富士、浅間、八つ、南等が浮島のように頭を出している。濡れたものを乾かし、朝食をすませて八時出発。

稜線に出れば黒部の谷を隔てて劔、立山が屹立している。立山のカールには非常に多量の雪が残っている。なだらかな稜線を暫く行けば、有名な不帰の嶮が我々を迎える。

四十分程の天狗の大降り膝をガクガクいわせて不帰のキレットに下り立てば一峯、二峯、三峯と威圧的に聳え立っている。二峯の登りが最も厄(ヤク)な所で要所要所には針金やレールが渡してあり昔ほどは危険はないが大きい荷物を持っていては非常に緊張させられ、三十分ほどして悪場を過ぎた時は思はずホッとした。

三峯頂上より唐松とザクの中を一時間程で三時唐松岳に到着。三時十分唐松小屋。主人に聞くと、「白岳小屋はまだ無人でしょう」という事なので「占めた」とばかり早速足をのばすことにする。

牛首の嶮を新しく出来た捲道で避け、大黒岳にかかるころから夕立に合い、暫く休憩して様子を見ることにする。幸にも雨は十五分ほどで止み、雲の切れ間から太陽が顔を出すくらいの天気になったのですぐ出発し、五時半白岳小屋着。この小屋は白岳と五龍岳の鞍部の黒部側に新しく建ったばかりの実に良い小屋である。裏には大雪渓があり、水には事欠かない(尚この小屋はその後一週間程で番人が入った。)[内藤]




扇沢〜針ノ木峠

発(9:00)〜大沢小屋(13:30-15:00)・青木到着(18:30)

晴。

大沢小屋から、十分も森林帯を行くとすぐ雪渓になる。始めはゆるいが、段々と傾斜も増して来る。向うの山稜には、明るい山稜が照っているが、谷間は未だだ。Gさんは、どんどん行ってしまう。Kさんは、まだ見えぬ。雪渓の端に水が流れている。水を飲んで、アイゼンをつける。Kさんが来る。傾斜は、いよいよ急に、雪渓は二つに分れ、右へ登る。峠はすぐ目の上だ。もうすぐだ。ところが、さにあらず。三十分もかゝる。喜びに、来し方を見ると驚いた。よくも登ったと思う。さて、向うと見れば、槍から続く、二つの尾根が、はっきりしている。黒部五郎が黒部川におっかぶせるようにせまる。

涼しい風に吹かれながら晝食をとった後、調子の悪いKさんを残して、はるか下に見える沢へと向う。荷は、再び重い。

雪渓を横断する途中で、向う側から二人連れが来て、待つ。”早く渡らねば”と思って、トップの僕が、あと一歩という所、Gさんが、”おっ”と云う。ピョンと飛んで、下を見ると、Hが落ちている。ピッケルをさそうと県命になっている。半分程落ちた。荷が重いのか、自由がきかぬらしい。”あっピッケルが逆になった”もうどうにもならぬ。勢がついて、下の岩へと行く。背すぢに冷いものが走る。鈍い音を立てゝ、岩につき当る。数秒のうちに起った出来事だ。動かない。

荷をおいて、後藤さんは下へ、僕は上へと行く。Kさんは、呼ぶと降りて来た。雪渓を下っていった。僕にはできなかった。ザックのそばに立って、呆然と下を見ているだけだった。何と無力なのだ。

”だいじょーぶかー”
”うん、もう歩けるらしいー
ザックを上げといてくれー”

湯をわかし、消毒したガーゼで傷口をふく。ペニシリンを塗り、ホウタイを巻く。外傷だけらしいので、まず安心した。

日暮れ頃になると、小屋にも人がおひおひと入ってくる。疲れ切った顔をして。[青木]




出発〜

新宿駅発(22:15) -

十八時半新宿駅集合。最後の出発の班のため在京者の見送りが少なく淋しかった。例の如く列車の混雑は云うまでもない。さすがに皆上手に席をとる。汽車はおなじみの二十二時十五分発準急長野行である。しばしの間新宿のネオンに別れを惜しみつゝ、心は早くも山へと走る。大月を過ぎれば、皆明日に備えて眠りに着く。







page 1. 合宿概要・行動記録 1/2
page 2. 行動記録 2/2


おことわり

この「北アルプス全山縦走」のページは、岩燕 IV 号掲載の以下の三本の報告をまとめて再構成しています。

  • 報告「北アルプス縦走記」内藤担(A班の報告)
  • 報告「北ア・烏帽子以南」一杉正治・松田裕明(C班の報告)
  • 雑録「北アの山日記より」青木義明(B班の行動をベースにしたもの)

C班の結びにも明記されている通り、報告と雑録の部分では執筆者の意図や表現にも差異があり、また当時の編集方針を無視することにも若干の懸念と罪悪感を抱いておりますが、サイト上で55年分に及ぶ岩燕すべての合宿報告をオンライン化するなかで、同一の合宿の各班の記事がそれぞれ独立して掲載されるよりは、一つの合宿の異った側面からの報告として再構成することにも意義があろうという判断のもと、敢えて一本化して読者の便宜を図ることにしました。 御了承をお願いします。


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