tome VII - 合宿報告2


 

薬師岳から笠ケ岳

昭和57年度夏季合宿
小沢 徹


page 2/2 [行動記録・反省]

行動記録



7月22日(晴)

学校に集合しパッキング後、上野へ向かう。1名が遅刻し上野に来たのが列車の発車直前という場面もあったが、なんとか福井行急行「越前」で富山に向う。

薬師を背景に。
7月23日(晴)

富山から折立までタクシーで行き、太郎兵衛平へ向けて歩き出す。樹林帯の急登では、合宿初日独特の沈んだ雰囲気であったが、樹林帯を抜けると、心地よい風が吹き、前に薬師を見ながら高原状の稜線を歩く快適なコースで、皆の足とりも自ずと軽くなった。途中短パンで歩いていた者が足を冷やし、足がつるというハプニングもあったが、難なく太郎兵衛平に着いた。あいにく天幕場は混んでいて、あまり良い場所はとれなかった。



7月24日(曇)

この日は薬師岳アタックだけなので気が楽であった。薬師までの道は空荷の我々にとってあっという間であっけなかった。山頂や下山の途中でゆっくりしたが、それでも天幕場に戻ったのは9時少し過ぎ。我々は天幕で徒らに時をすごしていたが、OBの浅田氏と中村氏と今西の三人が薬師沢まで降りて、岩魚を2匹釣って来た。思わぬ獲物(といっても10人で食べるには余りに小さ過ぎた)が我々の食卓に色を添えた。



背景は黒部五郎。
7月25日(雨)

雨である。視界も良くない。しかしここで予備日を使うわけにもいかず、雨の中を黒部五郎に向かった。雨で道だか沢だかわからぬ道や、ぬれて足もとが不安な岩場のくり返しという、寒くつめたくみじめな行程であった。視界は10メートルほどしかなく、どこを歩いているのかも分からぬほどであった。黒部五郎の山頂でも視界ゼロ。誰が雨男かを言いあうことでうさを晴らすしかすべがなく、全く情けない状態であった。晴れていればさぞ良さそうなお花畑を黒部乗越に向かうが、この頃突然今西の様子がおかしくなった。雨で体が冷えてしまったらしい。ペースも落ちてしまい、天幕場に着く頃は倒れる寸前であった。雨の中の設営の後、今西のみならず雨で体が冷えきった我々は温かい飲み物で暖をとった。



7月26日(雨)

目を覚ますとまたも雨であった。停滞である。朝食をとると全員シュラフにもぐりこみ、一日中寝ていた。又、昼食は今合宿初登場の軽量化のエース「一口弁当」という宇宙食まがいの飴2つであり、これが全員の士気を余計失わせてしまったようだ。この日の停滞で我々は今後の計画を変更せざるを得なくなった。とりあえず最大目標の槍アタックに備えるべく、赤木沢遡行はカットし、明日は、双六池へ天幕を移動することになった。



鷲羽岳を背景に。
7月27日(曇-晴)

雨も上がり、三保蓮華へ向かう。昨日までの雨で足場の良くない道を進む。三保蓮華の山頂はガスがかかり、またもや展望を得られなかった。しかし双六池の天幕場に着く頃には晴れ間もみえはじめ、設営後は各自濡れた個人装備を乾かした。夕方には鷲羽岳の雄姿がのぞまれ、明日以降の天気が期待できたが、軽量化を徹底した食料に対して、量が少ないという不満もきかれ始めた。



槍へ。
7月28日(晴)

槍へのロングアタックである。稜線上をいくつかのコブを越しながら快適に登る。サブザックということもあり、荷物の重いパーティーを数多く抜き去り、その数は測り知れなかった。結局、槍の山頂まで3時間半で来てしまった。槍の山頂は人の山であったが、ここで我々は初めて夏山らしい大パノラマを得ることができた。双六までの帰路もとばした。途中休むのによさそうな雪渓を横目にひたすら歩く、というより走った。結局、槍の肩から双六小屋まで一本、2時間で戻ってしまった。



水晶の山頂で。
7月29日(曇-晴)

今日は水晶岳アタックである。明るくなるまで天幕で待機し出発。合宿も7日目となると歩き慣れると同時に、疲れと粗食により歩くのもだるくなってくる。これから向かうところは北アルプスの最深部である。鷲羽岳ではこの合宿を象徴するごとくガスで展望なし。寒くてじっとしていられず歩くしかない。右に裏銀座を分け、水晶の登りにかかる。北アルプスとはいっても、ここに入ると人も少なく、道もこれまでに比べ整備がおくれている。水晶でも展望はなく来た道をもどる。帰路は鷲羽を通らず、黒部源流へ下る。我々が稜線を離れるのを待っていた如く太陽が登場した。黒部源流では、今合宿で初めてともいえるゆっくりとして、あたたかく、水も豊富にある休憩をとった。中には裸になって水浴びを始めるものもいて、各自楽しい時を過ごした。三保蓮華から双六へもどる途中、道を少しはずれ、雪渓の上を歩きすべった。



7月30日(曇-晴)

三泊した双六をあとに、我々は笠ケ岳へと向かった。弓折岳を越すころからガスが切れはじめ、ついには左手に槍穂の稜線が手に取るようにのぞまれた。笠ケ岳に向かう道は行きかう人もほとんどなく、秩父平などの心地よい草原もあり、合宿の最後を飾るにふさわしい道であった。笠の肩、岩のゴロゴロした天幕揚に設営後、頂上に向かう。またもやガスで展望はなかった。しかし合宿最後のピークであり感慨深いものがあった。その夜はささやかながら下山パーティーを行った。



7月31日(晴)

ついに最終日である。もう一度笠の山頂に行く。合宿の最後であることを知ってか、周囲の山々も雄姿をあらわし、すばらしい眺めであった。

笠から新穂高温泉に下山、解散となった。そこから松本・高山・富山へとみな別れていった。ふり返ってみると、雨とガス・軽量化の名のもとでのさびしい食事に悩まされながらも、皆よく歩き中々充実した合宿であった。いやむしろ我々の体力からいえば、当初考えていたよりも楽な合宿だったかもしれない。いずれにしても部員の各々が何かしらを得たに違いないだろう。解散後、富山駅で買った地方紙の夕刊を見て私は苦笑を禁じ得なかった;「本日梅雨明け」。



反省

反省会では係別・個人別にいくつかの反省点があげられた。装備ではガムテープの不足、軽量化した食料では量の不足が指摘された。その他の係では特に反省点は挙げられなかった。

一方、個人の反省としては、リーダーの指示の徹底とペース配合、又リーダーの指示に従うといった反省が目立った。

合宿全体でみると、よく歩いた。しかし、雨の為上級生による赤木沢遡行をカットしたので、我々の実力からすれば多少の物足りなさが残ったのも否めない。

(昭和59年卒)





page 1. 合宿概要
page 2. 行動記録・反省


1982年度活動記録も併せてご覧下さい。



home > history > iwatsubame > VI-VIII > 1982年夏合宿レポート
prev.

(C) 2000-2018, azabu alpine club
text by t.ozawa, pictures by h.mashiko
all rights reserved.

ホーム || これまでの活動 || ギャラリー || コラム || 山岳部員・OB会員のページ || 掲示板 || このサイトについて
岩燕メイン || I-V号 || VI-VIII号 || 那須追悼号 || 岩燕総合インデックス || 管理者へメール