tome VIII - 巻頭言1


 

発刊によせて

(1996)

麻布学園山岳部部長
増子寛


今年の七月、何年かぶりに快晴の白馬岳の頂上に立ち三六〇度の展望を恣にした。前々日大雪渓を登ってきた高二のリーダーに中三の三名を加えた諸君と共にである。この四名が五〇年目を迎えるAACを支える総勢である。今年は残雪が多く白馬尻の小屋のわきからすぐ雪渓に入った。雪渓が終わるところにはパトロール隊が交代で詰めていて誰彼と無く世話を焼いてくれる。ここが中継点となっていて下部の雪渓と上部の小屋までのルートを監視している。小屋の下にある岩小屋を登山者が仮の宿にしようとしていたが、果たして可能であったか、幕営指定地まで移動させられたのではないかと余計な心配もした。

夜になると風が強くなり雨が激しく天幕を叩く。しかし新品のダンロップテントは快適に雨をはじき内部に滲みてこない。天幕の回りに溝を掘っていないにも拘わらず、下からも溢れてこない。

朝になっても前線は抜けずにますます風雨が激しくなり、白馬大池への移動を中止して停滞した。ところがそのさなかに、中年熟年の登山者が稜線を辿って上がってくるではないか。また、前日雪渓を快調に登っていった高校生百数十名のパーティーは、風雨を突いて大池経由で下山しだそうである。小屋の宿泊費は一万円を超えている。頂上直下の小屋には、剣、立山が眺望できる所に展望レストランが開設されていた。メニューまで確かめることはできなかったが、とびきり上等なフランス料理が楽しめることを期待したい。停滞したおかげで、天幕場で偶然にもOBの宮崎氏に率いられた明法学園の山岳部と会い、一足先に頂上へ向かわせてもらった。

大池からの下山路は、なんと乗鞍岳直下から天狗原まで雪の上である。結構急な斜面になっていて、ロープが張られ、それに沿って足場が切ってある。登山者の中にはスニーカーでおぼつかない足どりで降りている人もいる。

我がAACの諸君も何回も尻餅をつきながら苦闘していた。装備素材の改良と施設の充実が、山の上でも下界と同じ程度の快適さを保証し、山に入る者もそれを期待して一つの関係が成り立ちつつある。そして多くの人に、ある意味ではハードな山歩きを可能にしている。それは管理された山歩きと言えなくもない。管理されながらそれを適当に楽しむ術を身につけるのも一つの生き方である。



現代に生きるためには、ブラックボックスはブラックボックスとして受容した方が楽だという。事実、それらをいかに活用するかを考えることに慣らされつつある。いちいち中身を開けないと気のすまない人は、現代に適応できないのかもしれない。若い諸君はコンピューターのマニュアルをはじめからは見ない。見ないから上達が早い。壊すことに罪悪感があまりないらしいし、もっとも今のものはそう簡単には壊れないように作ってある。古い世代の人間は、うまく動かなくなったときにどうすればコンピューターを壊さずにその状態から抜けられるか、それをまず確認してからスイッチを入れる。従ってはじめにマニュアルを一生懸命読むことになる。これではうまく使えるようになるまでに時間がかかる。

古い人たちは、動物として生きる力、或いは社会を作って生活していくための基礎訓練を長い時間をかけて受けてくるのが普通であった。それは、風呂を薪を燃やして沸かすことであったり、仲間と走り回ったり転げ回ることであったり、自分で遊ぶ道具を作ったり、小さな怪我をたくさんすることであったり、子供の社会でぶつかりあって喧嘩をすることであったり、いじめあうことであったり、等々。現代はこれらの訓練をヴァーチャルな世界ですばやく済ませてしまう。実地に訓練する機会を持たずに、頭で鵜呑みにしてしまい、場合によってはたかをくくることすらある。だから焚き火のできる子供はほとんどいないし、マッチを擦った経験のある子供すら少なくなっている。これは良いとか悪いとかいう問題ではない。仮に悪いというならばその責任は子供にあるのではなく、すべてそのような社会を作り上げた大人にある。実地訓練のできないような環境を作り、訓練を必要としない便利な物を追求し、欲望をかきたて、無くてもよい物をたくさん作り出して彼らだけでなく自分たちの前にも並べたのは、他ならぬ古い世代の大人たちなのである。

最近は教育論争が喧しい。模倣から創造への切り替え、平たく言えば受験勉強だけでは世界をリードする創造性は生まれないということらしい。文部省の中央教育審議会も将来の日本の教育を議論しているが、その答申の柱は「創造的な生きる力」を学校で教えろということのようだ。自分たちが何をしてきたのかをとらえ返さない限り、そして先進国中最も劣悪な教育環境の改善に金を使うことを保証しない限り、有効な提言になるとは思えない。答申が学校の現場だけに混乱を引き起こす結果にならないことを願うものである。現代の若者に「生きる力」がないとは思えないし、古い人たちに比べて能力が劣るとも思えない。ただ、古い人たちが訓練に使った時間を彼らは何に使ってきたのか、そしてその代わウに彼らは何を得たのか。彼らの卓越した能力とは何か。じっくり見据えて将来を論じなければならないだろう。



『岩燕』七号が刊行されてから一〇年がたった。一九九〇年にはOBの石井秀行君が五月の利尻岳で帰らぬ人となった。山に魅せられた好青年であった。彼の現役時代の意欲的な活動に引かれて、弛みかけた体に鞭をいれたことがなつかしい。山の中で紙を使いすぎてごみが増えるとよくしかられたものである。

この一〇年間、いくつかの極大極小を繰り返しながら、山岳部の活動曲線は概ね右下がりで推移した。この責任の多くは顧問にあり、他人ごとのように言うわけにはいかないが、今後はそれを反転させて右上がりにせざるを得ない状況になっている。残念ながらその特効薬はない。しかし、誰しも楽しいと思うて行動すれば、そのうちもっと楽しいことをしてみたくなるものである。そのための訓練が必要だと納得すれば、少々のつらい訓練も耐えられるようになる。必要なときに必要なことを手に入れるというやり方なら、.無理なく受け入れられそうである。特に山は懐が深い。つべこべ言わずに楽しい、感動する山登りを続けていけば、中にはその管理された枠をはずれていく者が出てくることも期待できる。考えてみればはじめは誰でも管理された世界でスタートしなければならない、そして気がついたらはまっていたというのが偽らざるところであろう。幸いなことに山岳部は現在、野本先生、岩佐先生という強力な顧問に恵まれている。これからはなにがしかでも彼らをサポートすることができればと思っているところである。(昭和五二年〜)


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