[chronicles]



1991年度をふり返って

梅村 裕



前年度の項に書いた経緯を経て、この年度の始めには、部全体の意欲と信頼関係が全く失われていた。高二であった私と永井も夏と冬の合宿以外は高一以下にまかせきりで半ば引退状態であった。その結果月例山行はわずかしか行われず、ほとんど合宿のみの一年となった。部員獲得に関しても後に退部する中二が一人入っただけで、中一の入部者はなかった。

だがこのような状況の中で計画された合宿は、中一がいなかったことと、体力面では部員の力が安定してきたこともあり、当時の私たちとしては大胆な計画を立てた。夏合宿の北海道十勝岳から大雪山までの縦走は、当時代表指導委員であった岡本氏のリーダー時の合宿をもとに計画したものであったが、その岡本氏を含む11人の大所帯で八泊という規模の大きいものであった。前半気候に恵まれなかったことを除けば、全体に苦労の少ない行程であったが、独特の展望の広がるなだらかな道をのどかな気持ちで歩くことができた。山を楽しむという点では最も印象に残った合宿であった。仙丈岳での冬合宿は、積雪明の三千メートル登頂ということで、私と永井の集大成にしようと意気込んでの計画であった。ところが、終始天気に恵まれ、また雪も極端に少なかったために、当初幕場周辺で雪上訓練をさせる予定であった中学生も連れて、難なく仙丈のピークを踏むことができ、少々拍子抜けの感はあった。しかし三千メートルの展望をひどく落ちついて静かな気持ちで眺めたという記憶が今でもはっきりと残っている。現役最後の山行であり当然でもあるが、最も印象に残った光景であった。

今思うと、この年の私のリーダーとしての地上での部活動はメンバーとの不信と疎外感に満ち満ちたものであった一方で、数少ない山に登る機会自体からはそれまでにない充実感を得ていたように思う。準備期間の部室では漫画片手にダラダラさぼっていた部員たちが、冬の仙丈の三千メートルの稜線に立ち、引き締まった表情で歩いていく様子や、夏の大雪山で雨のたたきつける中、部員たちがそれぞれの役割を黙々とこなして設営をしていく様子。それらは、自分たちのこの三年間の技術や経験の蓄積やメンバーシップ、リーダーシップといったものが、多くの先輩方に比べれば程度が低い、いびつなものであったにしても、何らかの形になったのだという実感を得られる光景であった。

とはいえ、このようなある程度の経験の蓄積を経て得る充実感を、私個人の感慨に留まらない、部全体が受け継いでいくようなものにするには、私のリーダーとしての最後の一年は、山に行くこと自体が少なすぎた。実際、私がこの年に引退して以降数年は、部員の数も山行日数も減る一方であった。メンバー間の信頼を強め、リーダーシップを確立し、部員が主体的に山行を楽しめるようになるための第一の手段は、同じメンバーで何度も山に行き続けることなのだ。この当り前のことを、これからの現役部員、特にリーダーの立場にある人は、私を反面教師に学んでもらいたい。

最後になるが、ヨチヨチ歩きの私をなんとか部長を務められるまでに鍛えてくださった高坂さん、岡本さん、南谷さん、飯村さん、冷静でキレる視点と、確実な仕事でいつも私を支えてくれた永井、浮わついて頼りないリーダーにそれでもついてきてくれた下級生諸君、そして現在に至るまで山岳部を支えてくださっている増子先生、野本先生、岩佐先生に感謝したい。




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