[chronicles]



1990年度をふり返って

梅村 裕



前年度の冬からこの年の冬ぐらいまでは、その質はともかくとして、リーダーとして私が一番山岳部に入れ込んでいた時期であり、また部としても、問題だらけではあったが、この数年の中では最も安定して活動をしていた時期でもあった。

まず中一の林、土肥、中二の池永の入部で高一から中一までの部員が二人ずつ揃い、部活動らしい体裁がようやく整ったことが何よりも大きい。体力や係活動の習熟がある程度の水準に達したメンバーが複数の学年に渡っていることは、それまでにはできなかった山行らしい山行、合宿らしい合宿を可能にしたし、将来をたくすべき下級生がいることは、目標の見えなかった部活動の、気持ちの上での支柱となった。また情けない話だが、幽霊部員抜きでも、サークル連合に部として認めてもらえるようになったのはとてもうれしかった。

山行、合宿は、大胆な計画や華やかな成果こそ無かったが、部全体が少しずつレベルアップしているのが分かるものであった。南アルプス北部で行なった夏合宿は、北沢峠をベースに甲斐駒、仙丈をアタックして中一を下ろし、それ以外は農鳥岳まで南下して、北岳登頂の後下山というものであったが、各学年のレベルでそれぞれに充実した成果を挙げられたと思う。また私自身もリーダーの立場からパーティー全体のことを見渡すだけの余裕を持って臨むことのできた初めての合宿であった。年間を通じてでは、ほとんどの山行が部員全員参加で行うことができた。また、山行以外では、文化祭で、教室に枯葉をまき、テントを張り、水の流れを作ってキャンプの様子を再現するという展示を行い、一部で好評を得た。

しかし、活動が安定してくる一方で部内の矛盾が大きくなっていったのもこの時期であった。この年の山行はメンバーの遅刻から計画を変更せざるを得ないといった事態が相次ぎ、また致命的な事態には到らないまでも、準備段階での怠慢から起こるミスが絶えなかった。普段の活動においても、トレーニングやミーティングはコンスタントに行われてこそいたが、私と永井のリーダー学年も含めて、部全体に人まかせな態度が蔓延するようになってきた。これには以下のような背景があった。この年の夏合宿以降、私は中学生の自立を促すという名目で、中学生のみで行く山行(9月雲取山)を企画したり、部の運営上の仕事やトレーニングを中学生中心で行うなど、中学生が責任を負う機会を多く作ろうとした。だがそのような試みの中に、自分の負担を減らして楽をしようという感情が入ってしまったことは否めない。実際私は冬合宿以降、文化祭など他の活動にかまけて、山岳部の仕事は手を抜くようになった。そのような私を見ながらでは、主体性を持て、などと説教されたところで下級生たちがやる気を起こすわけはない。実際これ以降、山行準備などでは、当初下級生にまかせていた部分が出発直前になっても完成せず、結局一部の上級生の手で全てをかたずけるという。パターンが定着してしまい、下級生が成長しないだけでなく、上級生と下級生の相互不信を深める結果まで招いてしまった。

『レポート』55号参照(1996年記)




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