tome IV - 合宿報告 8


 

春の仙丈、駒ヶ岳の印象

昭和27(1952)年度春季合宿報告
神原 達




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かれこれ半歳以上の月日が過ぎ、その間四、五回の山行で打ち消され、二重にも三重にも折り重なった春の南アルプスの印象を今さら拙い筆に託すなどと大それた事は慎むべきかもしれないが、冷静なる反省を得る為にはかえって得策であるかもしれない。

山岳部長年の悪い伝統に従って、計画、食糧等、皆高三(当時高二)の先輩達に任かせっぱなしで、合宿参加部員中最下級生であった僕は気楽な身分で、出発前夜までは積雪期登山に関する本を読んだり、春の心地よい太陽の下で数日に迫った雪と岩と人間の闘争の主役たるピッケルを磨いたりしてゐた。春山に関して、主に雪崩に関する頁を繙いてゐたのだが、しかし実際には雪崩の危険などは全く無く、有ったと仮定しても表層雪崩くらいのものだったろう。

例の通り新宿を 22時15分に出る凖急アルプス号を込み合うプラットフォームの薄ぎたない電球の下で待ち、先輩学友等の見送りを後に灯の町を夜汽車が出た時は、昨日からの怪しげな天候に加え小雨さえも降り出してゐた。睡むれぬ車中の一夜は薄暗い裸電球の下で時間のみが過ぎ去り明日の行程が気にかゝる。不規則に刻むレールの結び目の音が朧気に夢中で脈を打ち、鉄の塊は吐息をたてゝ暗夜を驀進する。しかし大月あたりであろうか、少し雲が割れ希望の星が二つ三つ覗いて来たので少し気も楽になった。
(二十五日)


第1日:戸台川へ

二十六日。早朝辰野着。総勢六名。その内訳はリーダーは高三の青木。高三伊藤、松田、高二神原、O・B 三橋、森田である。大きなザックに押し潰されそうな姿で、未だ薄暗い飯田線のホームへ始発を待ちに陸橋を越えて行く。やがてボロイがその割に早い電車は夜明けの伊那の平野を心地良く飛ばして行き、伊那北駅に下車するころにはすっかり明るく、朝日を受けた中央アルプス連山の雄大なる姿と、せゝこましく平べったく薄よごれた人間の住む家の(こゝでは村と呼ぶ)とを対立させ、自然のなせる神秘、未だ見ぬ山への憧れを事更に煽情させる要素を作成してゐた。

ヒマラヤ登山関係の書物に目を通すとそこにはかならずと云って良いほど山に対し祈祷を行うシェルパの群が画がれている。彼等未開の者達はその至達不可能で神秘に満ちた山に対し畏敬を持つ事はたしかに諒解出来るし、また幾多の宗教と云うものは皆この自分以上即ち人間以上の力、キリスト教ではこれを絶対の力と呼び天なる主を示すが、を領承し、それに対し弱い人間の救いを求めてゐることでも頷ける。自然を愛し又畏れる事は、それがいかに静かにそして微かに行なはれても一歩神の前に前進した事を表はすのではなかろうか。今はその事で時間を潰すわけにはゆかぬ、しかし宗教登山と云うものは登山史から見ても、又一方宗教方面から見ても、その拝むものが一コのお山の神様であろうが、非常に興味深いものである。
さて、伊那北よりバスの始発に乗り二時間にて戸台口と云う人一人として居ない山奥の停留所に残され、バスは我々を無視し谷の中腹を走り去って行く。戸台川に沿って林道を寸時行くと寒川即ちトロッコの出発点に着いた。生々とした木材と節穴だらけの掘立て小屋とが有り、人の良さそうなそして陰険な顔をした田舎の人夫達が働いている中を、トロッコ便乗の交渉に出かけその間、里の春の太陽を一ぱいに受け切り出された材木の間でしばし休憩する。

十時トロッコは我々一行とセメント木材などの土木用材を満載して戸台川に沿い登りだした。左岸の山肌を凄いガソリン機関の音もたてゝ攀登って行く。小さく切れ込んだ谷を横切り、出来たての白く不気味でそっけないトンネルをくゞり道中あかず進むうちに戸台部落に着いた。山腹から川原に降りこれからがいよいよ歩く番なのだと気分一変又全員カタツムリの行列を始める。戸台部落、その名を聞いたゞけで田舎の山奥深い感じがするが全くその通りで、折からの曇った空のバックの為か事さらにその乏しい家々の灰色味を濃くする。川原を吹く空風は寒く、水音は荒涼たる石の原を囂々と響く。寸時行くと、南アルプスの主と呼ばれる北沢小屋の長衛氏にあった。人の知る名ガイドでその若き頃は幾多の我々の先輩を案内し南アルプスを渡破したと聞くが、今は老骨枯れ白毛まじりの頭髪であるがそれでも元気は人一倍であり夏など古巣の北沢小屋で得意の大声を聞かしてくれる。さてその彼がしばし焚火でワッパをあぶり曲げる手を休め、我々に語ったところの話では、手紙でも問い合わせた如く今年は例年に比べ割り合いと積雪が少いそうで北沢峠で三尺余りとの事スキーは持たないで十分である。又県営小屋には都立西高の連中が泊まって居るそうだ。

又、単調な川岸を黙々と歩いて行くとやがて左右の山の谷間の中央に真白に輝いた鋸連山が見えて来た。其の後の双子岳がやけに大きく見え未だ見ぬ峯、仙丈岳の白銀を嫌が上にも想はせられる因子を持つ。

十一時十五分吹き晒の白岩営林小屋に着いた。小屋と云うには値しないほどのひどい破れ小屋だがそれでも一応屋根があるので雨はしのげる。時刻は早いし一日でも頂上をアタックする日数を多くした方が良いから北沢小屋まで延ばそうと云う森田さんの意見が出て少しもんでいたが、結局青木リーダーの云う計画通り白岩泊りと云う事におさまり、今日は早く寝て十分に休息し明日に雄気をたくわえる事とした。

まづ、小屋の毀れをつくろい、氷る様な雪溶汁の川水の為しびれる手で米を研ぎ、次に川原に流れ着いた枯木を集め火を焚き付ける。知らず全員火に親しみを持ち、何もかもそっちのけで爐端に集り無駄口をきいている間に飯盒が気持よく湯気を吹く。朝、午と辨当を食い、今山行初の炊いためしであるが例の如くしんのあるめしと、カレー粉のかたまりの入ったライスカレーである。

やがて谷間の破れ小屋にも暗夜の帳が訪れ、ランタンの灯も消され各人棚の下にシュラーフを這込ませて安らかな睡りに入った。


第2日:長衛小屋へ

二十七日、晴。。「起床」と叫ぶリーダーのつれない越えに跳び起き、睡むたい目を擦りながら火を焚き味噌汁を作る。流石に寒い。マイナス七度は下まわろうか、この調子だと三千米の氷の中ではどんな結果になるか思いやられる。兎に角春山では午前中行動が何よりも大切である。午後になると天候の変化が特に烈しく、又雪が緩む恐れがある。

五時出発。かろうじてライト無しで歩けるほどの明るさである。河原を吹き通す寒風に手と耳が特に冷たく、毛糸の手袋などは眼中にはないが如くに手頚や襟元にしみ込んで来る。肩にくい込む重いザックの為に出る汗も、瞬く間に吹き消されてしまい、肌を刺す寒気のみが惨酷に居残る。単調な行進を一時間半ほど続けるうちに赤河原に着いた。六時三十分である。川は二叉に分れ上流に向い左手が駒ヶ岳六合目小屋方面へ、右は仙丈岳のヤブ沢に遡るのだが、これから登らんとする八丁坂は堰堤の三十米ばかり上流の左岸にその登り口を見出すことが出来た。

小休止の後、出発。息を切らす辛い急斜面の登りを何回休んだか、歩いては休み、深呼吸をして又重い荷物に潰されそうなかっこうで登り出す。薄く氷の張った道は針葉樹林の中をぢぐざぐに走り、太い倒木が道を横切ってゐるのでその前進は一通りの苦労どころでは無い。

早朝の食事では八時ともなると早や腹がすく。大食漢ばかりでどうも食う点に於ては必然的に浅ましくなるはいたしかたない。もう一度朝食を食い直そうと云うことになり、途中の八丁坂小屋の残骸の前で店を拡げカンパンを頬張ることとする。

こゝまで来るとヤブ沢の水音も大分遠く、初めて高度感を味うようになる。やがて東大平も過ぎる頃雪は足をすっかり埋めてしまい、一歩毎に大きな荷によろめきながらの前進に苦労があったが、十時二十分。「着いたぞ。」と先頭の声と共についに明るい北沢峠へ跳び出た。雪は相当ある。それが日光に輝いてまぶしいばかりだ。ザックを投げ出し解放された身を思い切り深呼吸して梢の上の青空を眺めた。峠には木製の鳥居が半分雪にうづもれて立っていて、小屋へはそこから左手へ下り山を捲いてゐる。右手の仙丈頂上へ向う夏道には全くラッセルがない。全員記念の写真をとると、意気揚々ともはや頂上を極めた如くにすばらしい勢で小屋へ直行した。長衛小屋は屋根まで雪の下に没し、南側の窓と入口が掘り出されてあり、前々から郵便で連絡してあったので雪だるまの我々は即座に温いいろりの火に迎えられた。

炉端の火を囲み談笑しばし、九時、明日の好天を祈って温い小屋で睡りについた。


第3日:仙丈岳へ

二十八日(曇後雪)。三時半起床。流石に寒い。中村先輩からお借りした頑丈なナーゲルが、がちがちに氷っている。と云うのは、中村さんの火に近づけるなとの注意を忠実に実行し過ぎた?為である。靴は火に近づけると革がすぐにいかれてしまうからである。これは帰ってからの話であるが、そのような場合には靴を抱いて寝るのであると云う事だ。しかしその可笑しさもいざ氷った靴を穿く弾になると吹き飛んでしまう。曲らない革の中へやっと足を入れたはよいが、今度は冷蔵庫の中に足を入れた様で、じっとしていては足ごと氷り付きそうだ。おまけに早朝の寒さだ。それでも兎に角アイゼンをつけ、五時二十分どんよりと曇った雪の世界に出た。云い忘れたが腹の中には温かいめしと味噌汁が入っている。

北沢に沿うて十分ばかり下り、いよいよこれからスキー沢の登りにかゝる。急な樹林帯をぢぐざぐに西高のつけてくれたラッセルが続いている。昨日生れて初めてアイゼンなるものを使用した新米の僕はそのフラットな使い方を何遍もリーダーに注意されるが、急斜面でその斜面に平らに足をつけると足首が曲ったまゝの状態となりなれぬ間は実につらかった。が昨日の重い荷が無く今日はサブザックのみの全くの空身であるので、一尺ほどくぼんだラッセルの歩き良い上を快調に進む。時々アイゼンに雪が塊まって付くので、そばの立木に打ちつけて雪を落すのだが、その時頭上の枝の雪が襟首に入るのには弱った。ピッケルで叩くとシャフトがいたむと云うので樹でまに合わせるのである。しかし樹林帯を出てからはピッケルで落さざるを得なかった。途中後方のスカイラインのかなたに、わづかに八ヶ岳が頭上を見せた。金峯、さらに右に富士が端麗な姿を見せ初めて高度感が身にしみてきた。

七時四十五分稜線に跳び出た。視界は急に開け、目前に小仙丈が伸し懸ってゐる。仙丈の頂上は三つ四つあるピークの右側に、なめらかな女性的な純白のヴェールを付けて横たはっている。実に静かな世界だ。自然の神秘力の偉大さを一人身にしむ思いである。

時計は午前八時を指している。あと一頑張りで頂上へ立てるのだと思うと心はいやでもはやりたち、その白銀の頂へと飛んで行く。細いが割合となだらかな斜面を落した稜線が右巻きに続いている。それを辿れば頂上へ立てるのだ。

先に着いた青木、松田先輩はもう二つ向こうのピークの上に居る。アイゼンを附け変えて寸時後れて出発した僕は、頂上眺めるとヤブ沢源流のカールをトラバースする方がピークを越えて行くより速そうに思えた。又何かの案内書にもそう書いてあったと憶える。そこでラッセルをはづし心地良くクラストした斜面を頂上の下へ向ってトラバースし始めた。幸いに雪は良くウィンドクラストをしていたのでアイゼンがサクサクときしんで入った。右手でピッケルの頭を左手でシャフトを持ち石突を斜の雪面にわづかにつける位に忠実に雪中登山の斜面トラバースの姿勢を守って進みながら、真上の先輩達を見上げると向こうでは心配顔に僕を見つめている。少し行くと新雪のクラストの無い面に出た。今まで呑気に構えてゐたのだが、表層雪崩でも興ったらどうしようかと急に心配になり、思はずピッケルを深くさし体を支えて立ち止ってしまった。もう少しだ、早く稜線に出てしまおう、とピッチを上げそして一歩一歩注意して登るうちに何時か空はすっかりどんよりとしたガスに包まれてしまい寒さのみが身にせまる。

やがて頂上直下の稜線に出ると全員揃って頂上へと登った。雪の吹き附いたサングラスをはずすと寒気が殊にひどく、頂上へ着いたと云う安心感と同時に氷点下二十度は下まわろうと云う寒さに顔は全く感覚を失い革のオーバー手袋を通して手がしびれて痙れんが始まる。思はずピッケルを雪中に突きさすと両手を打ち合わせて血液の循環を起させようと必死になったほどである。ガスが一面に立ち込んでいるので展望は良くない。しかし初めて雪の山の頂上に登ったと云う満足感で心は温かかったが、体は少しで氷りづけになる所であった。決死的な努力で記念写真を撮ると五分とは居ないで早々に引き上げて下りにかゝった。ラッセルを忠実に少し下ったところの右側、即ち甲州側に実に好適な窪地があった。時刻は九時十五分頂上着、今は二十分である。少し早いが午食とした。午食と云っても特製のカンパン三十箇とレイズンにチーズとキャラメルの他はふんだんにある雪である。ズボンや上着は動かすとガサッと音が立つほど氷ってしまい、じっとしていたら凍傷になりそうな寒さだ。

午前十時。一同事故無きよう励まし合い下りにかゝった。下りは楽である。と云っても登り以上に注意を要する事は事実だ。兎に角稜線を飛ばして小仙丈に着いたときにはほっとした。後はどんなに吹かれてもさして危険ではないと、小休止、五分位にしてやおら腰を上げ白銀の岳を返り見、別れを告げていよいよ北沢へ向かいグリセードーの開始である。数時間前には苦労して登った雪の斜面をいせい良く滑り降るのであるがグリセードー変じて「シリセードー」となり、とゞのつまりはスピードがつき過ぎて怖くなりやっとの思いでたどり着いた樹林帯の太い木の幹に抱きついて止まったのである。

十一時五十分北沢小屋に無事到着。心地よい炉端の火と、頂上を極めた満足感に伸び伸びと身心共に暖まり、明日は駒ヶ岳に行くのだと云う希望で又胸が踊る。雪の山へ入った事のない者には理解できぬ気持である。
五時半夜食。八時就寝。と記録をつけた。




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