tome VII - 合宿報告1


 

黒法師岳

昭和53年度春季合宿
高坂元顕


page 2/2 [行動記録・反省]

行動記録

3月24日(雨)

雨の降る中、0Bの方々に見送られ、新宿発23時45分のアルプス17号で出発する。忙しかった準備期間を回想しつつ、まずはひと安心といったところだが、気になるのはこの雨のこと、明日に残らなければよいが……。

3月25日(快晴)

辰野で飯田線に乗り換える。幸いにも雨は上がっている。夜明けの中央アルプスの展望を楽しみつつ車内で朝食。9時21分、水窪に到着する。予約しておいたタクシーに乗り込むが、3台だったはずが2台しか来ておらず、三人は残ってもう1台の車を待つ。今日は、町で結婚式が行なわれており、車が出はらっているとのこと。一時間ほど遅れて、中小屋で合流する。パッキングを直し、林道を歩き出す。道端には、フキノトウが芽を出し、春の訪れを告げている。行く手には、白く雪化粧した黒法師岳が望めるが、昨年の偵察の時と比べると大分少ない様である。

2ピッチで日陰沢の出合に着き、昼食をとる。今日は林道歩きだけなので、皆快調なようである。尾根を回り込むと林道の分岐となる。日蔭沢沿いの林道は崩壊が激しく、至る所で道に斜面からの土砂がせり出している。側壁が脆く崩れやすいため、終始大小の石が落ちてくる。頭上に注意しながら進むと、左の山腹に延びる踏跡を発見する。昨年の偵察の時には、気づかなかったもので、明日の行動の事も考えて、OBの高野氏が単身偵察へ向う。そこから10分程で林道終点に到着し、テントを設営する。この付近には全く雪がなく、ウィンパー型の冬用天幕は少々設営しにくい。偵察から戻った高野氏によると踏跡は等高尾根に達し、さらに尾根に沿って延びているとのことであった。昨年の偵察では、林道終点から直接尾根に取付き、ひどいヤブコギとなったため、明日は分岐まで戻って踏跡を登ることにする。夕食、ミーティングの後、7時15分就寝。

3月26日(晴れ後曇、時々小雪)

今日からいよいよ本格的な登りである。5時40分出発。昨日の分岐まで戻って登り始める。つづら折りの道を30分程で等高尾根に出ることができた。ここは1250m付近で、これより稜線まで標高差700mを一気に登ることになる。小休止の後、展望のきかない樹林の中をヤブをかき分けながら登って行く。足下が至る所で凍っており少々歩きにくいが、登るにつれて次第に積雪も増えて歩きやすくなる。2ピッチで500m程登り昼食を取る。この付近まで来ると、樹間に丸盆岳から鎌崩への白く輝く稜線を望むことができる。尾根の傾斜も大分きつくなってきたので、ピッケルを出してゆく。一気に稜線までと思ったのだが、胸のつく様な登りに手間どり、2ピッチかかって稜線に這い上がる。寸又川を隔てて遠く大無間山から光岳へと続く尾根を見渡すことができる。オーバーズボンを着け、膝までのラッセルで、目前の黒法師岳へ向う。途中、僅か数メートルではあったが、アイスバーンのトラバースがあり大分手間どった。疲労の激しくなった江碕のザックを蒔田氏に交換していただき、最後の登りにかかる。この登りは腹までのラッセルとなり、トップを交代しながら進む。予想外に時間がかかったが、2時には頂上に着くことができた。頂上にてテントを張る。

3月27日(快晴)

5時に起床し、出発の準備をしていると夜が明け始める。雲一つない空が、今日のアタックを祝福している様だ。昨日、大分手こずったトラバースに備え、アイゼンを装着する。サブザックにて6時45分出発。樹林の中を走る様に下ってゆくとアイスバーンの所に着く。念のためにザイルをフィックスし一人一人通過する。荷物が軽いせいもあり、アイゼンを着けると何ということもない。等高尾根の分岐からは膝までのラッセルになるが、軽快に進んでゆける。不要となったアイゼンを外し、鞍部へと下る。笹平まで登って一本取る。笹平とは12月の偵察の時に、我々が勝手につけた名称であるが、今はその笹も雪の下に埋まり、大雪原となっている。

「笹の平」より黒法師岳東俣沢に向って、この地方で崩(なぎ)と呼ばれる大規模なガレが落ち込んでいる。鎌崩と同様に、今も崩壊が進行している様だ。正面の丸盆岳まではもう僅かな距離で、樹林の薄くなった雪面が頂上へと続いている。登り始めると15分程で頂上に着いてしまった。アタックと言うには、余りにもあっけなかったが、この合宿の最終目的地ということもあって大休止とする。8時15分。それでも展望は素晴しく、六呂場山から池口岳、さらには光岳へと続く主稜線と純白に輝く上河内岳を遠く望むことができる。辿ることのできなかった不動岳も望め、一抹の寂しさが感じられた。一時間半程休んで往路を引き返す。まだ時間も早いので、笹平で本格的にトカゲとする。雪面にツェルトを敷いて寝転がっていると、合宿に来ているという緊張感も薄らいでゆく。考えてみれば、合宿でこんなに時間の余裕があるのも珍しい。楽しいひとときを過ごし、12時に帰路につく。帰りはトレースもあったため、一ピッチでテントまで戻ってしまった。午後は自由時間とする。

野性の命ずるままに木登り・飛び降りを繰り返す筆者。

3月28日(快晴)

千頭前黒法師岳4時に起床して出発の準備をする。2時間を目途に準備しているため慌しいが、それでも八ケ岳での冬合宿の頃に比べると、皆大分手際よく行動できるようになった。6時15分出発。前黒法師を目指して下り始める。これまでの偵察などで二度三度と通った道は、何の躊躇もなく下ってゆける。300mを一気に走り下って、黒法師-双子山間の鞍部で一本とる。積雪は、昨年と比較にならない程少ない。昨年、ここで雪上訓練の真似事をして遊んでいた事が懐かしく思い出される。次のピッチで双子山まで行く。黒法師も、もう見納めとなるので少し長めに休む。双子山を過ぎると尾根は広がって、所々倒木を迂回しながら進む様になる。蕎麦粒山方面を望むと、尾根の中腹に刻まれた赤石幹線林道が、もうこの尾根の直下まで迫っている。この静寂な尾根をトラックが行き交うのも時間の問題であろう。何か非常に寂しい気がする。(現在、林道はこの尾根を乗越えて、さらに奥へと延びつつある。)所々に、昨年の赤布が見られるが、もう大分色あせてしまっている。小さな上下を繰り返していると前黒法師岳への最後の登りとなる。樹林の中に溶けずに残った雪がクラストしており、キックステップで登ってゆく。それでも、気を抜くと膝位まで潜るため、意外に苦しい登行が続く。頂上に着いた時には、全身汗だくとなっていた。12時45分。北側は樹林に遮ぎられて眺望はなく、伐採の終わった南側に地味な屋望が開けている。何度来ても渋い頂上である。30分程休み、天幕場を捜しながら下り始める。標高1800m付近に適地を発見し、テントを張る。2時30分。

3月29日(快晴)

今日で3日連続の快晴である。下山するには借しい天気と言いたいところだが、展望のない樹林帯ということもあって、もう気持は完全に下界へ向かっている。疲労の溜った体を引き締めて、慌しく出発の準備を行う。6時45分出発。急斜面を滑り落ちる様に下ってゆく。途中、昨年の幕営地を通過するが、この辺で雪は完全に消えてしまっている。標高1250mで一本。スパッツ、オーバーズボンをはずす。汗ばんだ体に風が心地よい。身軽になって下り出す。少し下ると仕事道となりペースも上がる。つづら折りの道を走り下ると、大間川の川音が徐々に近づいてくる。最後は鉄梯子を下って林道に出た。緊張が解け、合宿が終わるという実感が込み上げてくる。あとは寸又峡まで車道を辿るだけだ。飛竜橋を渡り、トンネルを抜けると、シーズンオフで閑散とした寸又峡温泉に着いた。10時。

バス停で体操をして、合宿を解散する。


反省

合宿の目的の達成度という面から見れば、この合宿は成功であったと言えるのかもしれない。天候にも恵まれ、予定通り行程を消化できたし、雪上での幕営生活も一応の水準に達することができたと思う。しかし、山行としては焦点が曖昧で、印象の薄いものとなってしまった。反省会の席上で、先生や0Bの方々に指摘された、「合宿としてはミスの少ない合宿であったが、ミスの少ない合宿が良い合宿とは言えない。」という事は、我々山行に参加した各人が感じた事でもあった。私としてはこの合宿が、あらゆる意味で半年間の集大成となる様に努力してきたつもりであったが、何か根本的な事を忘れていた様である。リーダーとして、部をまとめ上げることができず残念であると共に、責任を痛感している次第である。(昭和56年卒)



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1979年度活動記録も併せてご覧下さい。



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