[chronicles]



1951年度前半(昭和26年4月〜26年8月)をふり返って

荒木徳也



北岳左俣遡行

7月中旬、南ア全山縦走を計画した僕達が野呂川両俣小屋に着いたのは夕立降りこめる日暮れ時であった。同行三人夕飯もそこそこに終日のアルバイトに備えてか、連日のつかれがこたえたか、横になるが早いか白河夜船の高いびきである。

川音にまざって鳴くか鳥の声に夢を破られた僕達は顔を洗うのもそこそこに(もっとも山に入っている内は絶対に顔を洗わない。なんて云う悲願?を立てた関係もあって)朝飯の用意に入った。やがて一夜の宿となった両俣のオンボロ小屋を後に出発したのは七時を一寸廻っていた様だった。うぐいすやかけすのさえずる声を右に左に目指す北岳の山腹にとっついたのは昼を過ぎていた。沢を離れて道は山腹の木立の間にまがっている。僕等はただ登るのが義務の様に重い足を運んでいる。「おーい、道が無くなったよ」Aの悲嘆を含んだ声が聞える。「バカヤロー、道を間違えやがって、もっとよくさがしてみろ」僕もどなり返えす。事実、道は消えるともなく草の中に沈んでいる。薄くなった道らしき所にAが困惑顔に立ちすくんでいる。「弱ったぞ」そんな考えが僕の心の中に浮ぶ。突端に一生一代の名案が口をついて出た。「バカヤロー、ここは南アルプスだぞ、奥多摩なんぞと違って道の上を歩いてりや山の上に着くのとは違うんだ。道みていな所をかまわず登るんだ」、Aは得心した様な顔だが何か云いたげに口をもぐもぐさせていたが、くるりと背を向けると又足を動かし始めた。「いつ頂上に着くのかね」Bの口から悲鳴とも嘆声ともつかぬ言葉が出る。僕等三人共、道も知らぬ山歩きだもの、いつ頃頂上に着くのやら見当もつかぬ。

「あいてて、お前もう一寸離れていけよ。枝がはね返って顔にぶつからい」。Bが先行のAにとなっている。山腹をとりまいていた立木もやがて背が低くなり始めて来た。目の前の矯木のすき間から這松の海が見え始めたのは、それから半時もたってがらである。

「おい這松だ。すげえなあ、まるで海の様だね」Bが大声でわめき出した。這松の海のかなたに高く北岳の稜線が、あざやかにスカイ・ラインを描いている。

トップのAが「おい稜線が近いや、もうこっちのもんだ」どなりながら這松に足をふみこんだ突端Aの五尺六寸の身体は這松の下に消えてしまった。「うへー、すげえや。とても登れるもんじやねえ」下の方から叫び声が聞える。残るBも僕も、その声を聞くと顔を見合わせ、立ちすくんでしまう。トップのAはそれでも二、三メートル進んだ様だ。僕等はAの悪戦苦闘と上に見えるスカイ・ラインを交互に見やりながら沈黙している。

突然Bが這松の海に身をおどらせてもぐっていく。僕も負けずにもぐってみた。確かにAの騒ぐのも無理はない。何の事はない、サカモギを分けて歩く様なものである。二、三メートル前をゴソゴソ歩いているのだが、お互いの姿は見えない。人間とは不思議なもので現在自分のいる所よりも他人のいる所の方が、良く見えるもので、何とか他人のいる地点に急ごうとする。しかし残念ながら這松は無慈悲にもそれをストップさせる。それを無理にふみ分け、かきわけ、ジリッ、ジリッと前進する。たちまち顔といわず手といわず傷ついていく。自分ではね返した枝が自分の顔にぶつかって来るのだから文句を持って行き場所がない。「あいてて、こん畜生、顔に傷が出来た」、前の方でAの声が聞える。「おくれずに、おくれずに」自分の胸に聞かせながら這松をかきわける。始めは一本一本丁寧に左右に分けていたが手がもう動かなくなって来た。ただガムシャラに登り出す。顔や足の傷がふえる。身体はもう一歩も前に進まない。でも上の方に他人のガサガサやる音が聞えると「おくれまい、おくれまい」と又かき分ける。もう松の匂いが身体中にしみ込んでしまった。かれこれ、一、二時間もそうしてあばれたろうか。顔前五〇メートル程の所に大きな岩が海にそそり立つ孤島のように見えて来た。「おい、あの岩だ。あそこに行こう」三人の口から同時に同じ言葉がほとばしり出た。しかしその五〇メートル進むのに三〇分の時間を要した。

岩は案外大きく三人共ちんまりと、その一角に腰をおろした。沢が下の方から音をひびかせて来る。風が僕のほほにつめたく感ずる、僕は今迄苦闘した跡を見降していた。

日はもう北岳の稜線に近ずいている。「さあ、早く稜線に着かなきあ」心の中で叫ぶ、しかし身体はその命令に反してゴロリと横になる事を僕に命じた。ザックをゴツゴソやっていたBは汗でクシャ、クシャになったになつたキャラメルをだまって僕に差出した。横からAが手を差出しキャラメルを四つつまんだ。僕はAの手から一つをとり返し皮をむいて口にほうり込んだ。と突然僕は笑いが込み上げて来た。「いつもならこんな事でももっと目の色を変えたろうに」....

日はさっきよりもっと稜線に近づいた。「おい出発にしよう」僕が低い声でいうとBも重い腰を上げてザックを背おった。

「さあて、あと何時間道松と闘うのかな」。

僕の胸にそんな言葉が浮んで来る。「山頂への道はけはしいのだろうな、」でも登らねばならない。今は苦しんでも登るのが僕の使命の様なものだ。僕は又背中のザックをゆすりながら自分の進路をじゃまする這松の中に足をふみ込んだ。





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