[chronicles]



1973年度をふり返って

斉藤昌毅



僕が山岳部員として山行に参加したのは、高一の夏、谷川岳が最初であった。そして、単に年令の関係ですぐにサプリーダーとなり、冬の合宿ではなんとリーダーとして部を牽引していかねばならない立場になってしまった。リーダーというのは、ある程度立場が上にあるらしく、天幕内でも現役のなかでは最奥に陣取り、決定権を与えられ、いやな仕事はリーダー命令のもとに他に転嫁することもでき得るのだ。しかし、これは新入部員として、逆に命令される立場を経験し、数多くの山行を重ね、力量、人格共に充実した人間に与えられるべき責任を伴った特権であろう。

もちろん僕にはそんな要素があるはずもなく、山の経験などは中三諸君のほうがよほど多かったのだ。僕にあるのは、単に年令が一つ上、ということだけなのだ。しかし彼らはよくやってくれた。OB諸氏のアドバイスと、全員の力は、山行をよりいっそうすばらしいものにした。それに加えて大自然は我々を優しく包んでくれた。これらすべてが集中した春の仙丈岳はほんとうにすばらしいものであった。

訓練日には大自然はその厳しさの片鱗を見せてくれ、そして最終日登頂の際には台本どうり一転して、すばらしい登山日和。強い日ざし、新雪のラッセル、クラストした斜面にアイゼンがきしむ。何だか映画の一場面のようですらあった。快適な樹林帯のシリセード、パウダー・スノー上に寝つ転がってのトカゲ、その時僕は雪が暖く感じられたのだった。軟かく暖い雪のマットの上で、余裕のある山行がいかにすばらしいかを知ったのだ。


しかし、下界でフルトベェングラーのブルックナーなぞを聞きながら思い返えしてみると、自分の今までの山行は、ほとんど大自然の穏やかな横顔を見ながらのものであったことに気づくのであった。それに加えて、金さえ出せばいくらでも手にはいる用具。羽毛のシュラフに完全防水の靴、雪のつかないナイロンのヤッケ類。これらはともすると、あたかも自分の技術が優秀であるかのごとき錯覚すら与えかねないもである。

推理小説にあるような丸薬状の食料も、現在の科学技術の発達のもとには実現不可能とはいえないだろう。一般的にいわれるような、人間の原点に立ち戻ろうとする登山(僕は必ずしもそうとは思わない)において、その登山の原点に立ち戻る……というような、鶏と卵の関係のような議論も起こりかねない。もっとも僕自身は登山というものを言語以前の感覚的なものとしてとらえているから、「なぜ山に登るのか」という問いに対しては「登りたいから」としか答えられないだろう。


さて、年度がかわり、中一諸君の入部でなんと部員数が二桁になったのであるが、こうなるとさすがに促成栽培のリーダーは使いものにならず、中途で一線を退いたわけである。

しかしながら「麻布学園山岳部は永遠です」といえるように、彼らが着実に歩み、地道に前進していくことを望むことは今も変わりないのである。


(1976年記)





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text by masaki saito. photo by j.suzuki.

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