[chronicles]



1987年度をふり返って

岡本 光



私がリーダーとなった時の部員の構成は、高二が一名、高一が二名の若干三名であり、まさに部の存続が危ぶまれる状態であった。当時代表指導委員であった高坂さんも大変心配され、何度も学校に足を運んでいただき顧問の先生方と共にどうしたら新入部員が入るか話し合った。「山岳部という名前にきっと危険なイメージがあり抵抗があるのだろうから、部の名称を Azabu Alpine Club として勧誘をしよう」といった話が真剣にされていた。4月の勧誘で何と中一を四名入部させることができた時には、正直いってリーダーとしての一年間の仕事を果たしたような気にさえなった。

部の第一目標は如何にして中一を教育し、辞めさせないかということだった。また個人的には兼部先のアメフト部のリーダーも引き受けざるを得ないことになってしまい、運動部のリーダーを掛け持ちし何とか両方ともやっていくだけで精一杯となってしまった。高一の二名には迷惑をかけどうしだったと思う。高校生三名の技量でさえもとても高いものではなかったため、とても積極的にレベルの高い山行を行える状態ではなかった。

そうしたわけで伝統ある『岩燕』に胸を張って発表する成果に乏しい一年であったが、唯一この一年間で記事になる山行と思えるのは高校夏合宿の北海道での縦走である。中学生のサポートも期待できず、北アルプスや南アルプスでは先輩の真似をより低いレベルでしかすることができないと考えたすえに思いついたものである。昔から色ものが好きな私はこれしかないように思え、連日顧問の先生方に交渉した。合宿としては本州を離れること、日数、予算の制限の点から問題があったが、飛行機を使わず「北海道フリー切符」を用い登山口まで二日かかる計画で承認をもらえた。現地では、コースタイムの半分程度の時間で歩けてしまうという拍子抜けしてしまうこともあったが、計画段階から熱意をもってとり組めた山行として記憶に残っている。

やはり大変であったのは新入部員にやる気を持ってもらうことであった。部活動よりもファミコンや塾に通うことの方を大事に思っている彼らに(私にはそう思えた)部活動の意義を説明し、なだめたり、おだてたりして何とか部を存続させようとしていたように思える。その時入部した中一のなかで最後まで残ってくれたのは一名だけであったが、それでもその後私がOBとなり指導委員として彼がリーダーの山行に同行するととても嬉しく思えた。

最後に、山岳部の人気のなさとレベルの低下は年々酷くなる一方であるようだが、それを支えてくださっている顧問の先生方に改めて御礼を申し上げたい。

『レポート』52号参照(1996年記)




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