[chronicles]



1988年度をふり返って

南谷達郎



私の入部の後、二年間新入部員が入らず、そしてこの年、私が一年後に引退すれば梅村たちの代は中二の春にしてリーダー学年になってしまうという状況に立たされてしまった。

今までも、部の存続だの崩壊だのといった言葉は何度か使われていたらしいが、この時の私の頭の中にも常にこれらの言葉が浮かんでいた。中学二年生といえば、体力的、技術的、精神的にリーダーをやっていけるような状態ではない。特に自分から山登りを楽しもうという姿勢が、ほとんどみうけられない。いやいや登っているなら、なぜ山岳部にいるのか。でもやめてもらっては困る。当時の私はそう思っていた。もしこのまま引き継ぎをしてしまえば彼らが真先にやることは山行をやめることではないだろうかと真剣に考えたりした。そしてこの一年間はとにかく中二の育成に力を注くことにした。具体的には山の楽しさを知ってもらうこと、そしてそのためにはまず体力をつけることが重要だと考えた。私の経験からすると、十分に体力がつき、足を動かすこと自体に集中せずにすむようになってはじめて、山を楽しめるようになると感じていた。増子先生もよく口癖で、「一に体力、二に体力…」とおっしゃっていた。しかし今考えてみると、このアプローチは中学二年生に対しては、間違っていたのかもしれない。体力があれば、より山を楽しめるというのは確かなことであろう。しかし、実際に体力のない中高年者だって、確実に山を楽しんでいるのだから、中学二年生にだって、それに見合った山の楽しみ方があるはずである。私は石井さんの冬の木曽駒や、小田さん小沢さんの春の悪沢などの、レベルの高い山行にあこがれ、レベルの高さを維持することが山岳部の山岳部たる伝統を守ることであるという観念に、どこか固執していたのかもしれない。しかし、この責務を中学二年生に受け継がせるのはひどいはなしである。このようなことを考えるのは、彼らが高校生になった時に自然に思いつくにまかせ、中二の彼らのためには、高尾山の、レベルで、確実に楽しめる山登りを教えてあげるのも、ひとつの方法だったのではないだろうか。

私のリーダー年度での、中二のレベルアップはあまり効果は上がらなかった。私は山行のたびに、ペースの遅さにいらつき、ミーティングのたびにがんばってトレーニングをしようと説教などした。そして、私が目標としていたレベルにまでは彼らを成長させることができず、自分の無責任さを痛感しながら私は部を引退した。一番の不安は、彼らが体力がないこともさることながら、まだ山を楽しむレベルに達していないことであった。

しかし、私の心配をよそに、彼らは予想以上によくがんばってくれた。特に、当初体力的に最も心配していた梅村が、ここまでしっかり部を運営してくれるとは正直思っていなかった。彼らはちゃんと、自分たちにできる範囲で、どのように山を楽しむかを模索していったのであり、それを我々がレベルが落ちただのと心配するのは見当違いである。今でも梅村に対しては感謝と感嘆の意にたえない。

最後に、いつも見守り、指導してくださった、増子先生、野本先生に深く感謝いたします。そして部員減少の危機に際し、いっしょに考え、協力してくださった高坂さんをはじめOB会の方々のご尽力に、御礼いたします。なお、本稿を書くにあたっては、『レポート』53号を参考にしました。(1996年記)




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